〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/25 (火) そう じん (四)

だが、今にして、気がついたのは、そういう限度でやっている限り、築港の完成は至難だということである。国力の大をもって、一挙に、急速に、築堤の根柢こんてい をすえなければ、また来年の台風期には、同じ水泡すいほう の空しさを見るに過ぎないと覚ったのである。
「── この秋、もいちど、法皇の御幸を仰ごう。そして、さらに御聴許をせまり、次の年こそ、きっと宿志を成し遂げてみせる。空言ではない。清盛には、成案もあり、法王との御内約もあってのことぞ」
清盛は、二奉行を、力づけて、そう言った。そして、かねがね自分から提出してある “太政官符” の写しぶみ を、二人に示した。

── ソレ諸州ノ衆力ヲ借ルニ非ザレバ、イカデコノ築営ノ大ヲ成スヲ得ム。
伏シテ、旧記ヲタダスニ、延喜ノ御代、綸旨リンジ ヲ下シ給ヒ、山陽南海両道ニ仰セテ、輪田ワダ 船瀬センライ旧泊キユハク ヲ修ゼラレタリ、今日、聖代ノマツリモツト規準キジユン トスルニ足ル。
然ラバ、即チ、和泉、河内、摂津、山陽南海ノ諸国ニ下知シ、荘公ヲ分タズ、権勢ヲ論ゼズ、勤規ゴンキ 、奉仕ヲ致サシメ、逆風ノ難ヲ防ガント欲ス。
ソレ、ソノ人夫ハ、田一丁ベツ 、畠一町ベツ ニ、各一人ヲ課シテ、合力ヲ召サルベキノ宣旨ヲ降シ給ハンコトヲ・・・・
阿波民部と日向太郎は、この一文を読んで、主人の清盛が、期待しているものを、より明瞭めいりょう に、知ることは知った。
が、雪ノ御所からの帰りみち
「・・・・なあ、日向どの」
「なんだ、民部どの」
「わが御主人はちと、甘過ぎはしないだろうか。いかに、法皇の御内諾があったといえ、それはほんのお言葉のうえのことだけだからなあ」
「おれも、そう思う。・・・・が、あのように、お信じになっているものを・・・・ことには、やごとなき御方のお言葉を、疑わしげに申し上げるわけにもゆかぬし」
「法皇の近臣中、一名として、築嬰営の成就を、心から望んでいる者はあるまい。摂関家はもとよりのこと、平家ならぬ公卿は皆、年ごとの台風に、ここの築堤が、あとかたもない泡沫うたかた となるのを見ては、手を打って、喜んでいるとも言う」
「どうして、御主君には、その辺のことが、お分かりにならぬのであろうか」
「何せい、残念なことよ。御主君は、どうたの んでおわそうと、われらは、宣旨などを、恃まぬことだ。われわれはただ、われを恃む。それしかないぞ」
二人に奉行は、いい合わせていた。
秋風に浪立つ青ぐろい海を、沖へ沖へと、石を沈めにゆく無数の石船が、今日この頃も、休みなくながめられた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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