〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/24 (月) そう じん (一)

「福原へ行けば、飢えることはない。輪田わだ ノ浜には、いくらでも仕事がある」
天災があると、流民が出た。家や田を流されてしまうからである。
何十年ぶりという嘉応二年夏の大風水害のあと、機内や山陽地方の流民は、期せずして、大輪田ノ浜へ集まって来た。
そして 「石かつぎでも」 「船夫ふなこ にでも ── 」 と、職を求める浮浪の男女が、何千という数にのぼった。
ところが、ここも台風の他ではない。
応保おうほう の年以来、数年にわたって、ようやく、浪間に石面いしづら が見える程にまで埋め立てて来た半島形の線が、一夜の狂風と怒涛どとう で、何の痕跡もないただの青海原と化し去っていた。
「・・・・まるで、さい ノ河原の石積みだ」
奉行の日向太郎通良みちよし と、阿波民部の二人が、憮然ぶぜん と、腕組みをしたまま、海面をながめている姿を ── 数千の人夫も、なすことなく、遠くの方で、見ていたものであった。
台風の来襲は、毎年といってよい。
年々、こんな繰り返しを見ていては、百年たっても、築港は完成されないだろう。人力や物資のつい えも莫大ばくだい である。
「なんとか、工事の基本と進め方も、かえねばなるまい」
というのが、この秋、両奉行の直面していた悩みであった。
九州の原田種直は、大宰府にいる多くの宋人のうちから、この方面の知識と経験者八名を選んで、先ごろ、福原へ上って来た。
大宰府には、中華の亡命者が少なくない。大陸にも大きな変化が起こって、唐朝とうちょう が亡んだあと、南宋の新たな政府が興っていた。志を失った多くの亡命者は、日本に余生を求めて来たが、しかし、その住居は、九州の一端に限られていたので、
「── 宋人が来る。宋人が来た」
と伝えられると、彼らに気の毒なほど、彼らの行く先々さきざき に人だかりがした。
ことに、こんど種直が連れて来た八名のうちの一老人は、自分の孫娘だという姉妹ふたり の妙齢な女子を伴っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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