〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/24 (月)  じょう かね ざね にっ (六)

車争いの一件は、従来、史上に伝えられて来たところとは、このように違っている。
これまで、信じられて来た史実では、基房に恥辱を与えた “髻切もとどりぎ り” の仕返しは、清盛がやらせたものだとなっていた。
孫の資盛が、路上で受けた恥に、入道が赫怒かくど して、それに数倍の報復をさせたというのが、定説とされて来た。
けれど、この前後、清盛は、洛中にいなかった。福原の別荘にいて、ほとんど、これに関知した事実はない。
その証拠には、前月の末に、後白河法皇が、彼の福原へ御幸されている。また、十月末には、法皇の使者が、福原へ行っている。
もし、武士をけしかけて、やらせた者があるとすれば、それは重盛である。
兼実の日記とともに、確かな記録と信じてよい “愚管抄ぐかんしょう ” には、清盛のしたことではなく、事実は、重盛がやらせたことであるとして ──

“小松内府は、いみじく、心うるはしき人なりけるが、父入道は教へにもあらで、不可思議の事一つしたりしなり”
と、書いている。
たしかに、不可思議なのは、重盛という人の性格である。いや、不可思議なのは、歴史そのものであるといえよう。彼は決して表裏をくら ましている奸雄かんゆう でもなければ、陰険な小人でもない。にもかかわらず、この事件は、あくまでも、彼の子と、親の彼とが、したことであった。
── 基房の家臣にも、非はあったろうが、第二の復讐ふくしゅう だけは、重盛の心にかなった所業とはいわれない。
後には、重盛も、非を悟ったものだろう。子の資盛を、所領の土地、伊勢の田舎へやって、一年ばかり、謹慎をいいつけた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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