〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/24 (月)  じょう かね ざね にっ (五)

ちょうど、摂政基房の車が、大炊おおい 御門みかど 堀川の辺りまで来かかると、附近の木蔭や、物蔭にたたずんでいたたくさんな武者が、わあっと、声を合わせて、ふいに車へ向かって、襲って来た。
舎人とねり や雑色などは、前例もあるので、それと見るや 「来たぞ」 とばかり、われがちに、逃げ散ってしまう。
残ったのは、前駆さきが けの侍六騎と、わずかな随身、車添いなどの、十数名に過ぎない。
一方の伏勢はといえば、二百人以上にも思われた。たちまち、包囲されて、前駆けの六騎は、馬から引きずり降ろされ、袋叩きにされたあげく、なんと、その一人一人を手籠てごめ にして、髪のもとどりを、みな切っては捨て、切手は捨てるという乱暴さ。
ほかの随身や舎人たちでも、逃げ遅れたのは、ことごとく捕まって、しり を叩かれ、足の下に踏みつけれれ、同じような侮辱に会ったというのである。
「あな、いた まし・・・・。身は摂?せつろく の家に生まれ、任を摂政の重きにうけながら、路上において、かかるはずかし めに会い給うとは」
兼実は、眼底に、悲涙をたぎらせた。
彼はこの時二十二だった。公卿とて、若い血は持っている。── 兼実が、関白月輪殿つきのわ といわれた晩年までの ── 、平家ぎらいと、平家打倒の誓いは、実にこの日からであったといってよい。
すぐ、兄を見舞うべく、基房が隠れ込んだ閑院のてい へ、車を った。そこには、先に来ていた藤原資長が一人居たきりであった。けれど、基房は、大きな衝撃と、悲嘆にくるまれていたせいだろう。 「面目ない」 ・・・・とのみ取次がせて、資長にも、兼実にも、ついに顔を見せなかった。
兼実は、むなしく家に帰ったが、思いは、兄と一つであったろう。その夜、日記の終わりに、彼は、こう痛嘆を書きとどめた。

タダタダカカル五濁ゴヂヨク ノ世ニ生レタルヲ恨ムノミ。悲シイカナ 、悲シイ哉。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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