〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/23 (日)  じょう かね ざね にっ (四)

それでもなお、彼は、世評を信じて、重盛よりは、清盛を恐れていた。やがては、何かの形で、清盛からこの報復があるものと、畏怖いふ していた。
同月の十六日。
基房はどうしても、法成寺へ出向かなければならなかった。
ところが、物見にやった下部のことばによると、
「二条や京極辺りの道筋に、武士どもが数多あまた 、姿を見せております。ほかに、武士が群れをなすような行事ぎょうじ があるとも見えません。どうも、何やら物騒に思われますが」
とのことだったので、ついにその日の外出は、中止してしまった。
こえて、十月二十一日のことである。
その日は、主上の御元服について、議定の予定が、前から約束されていた。
ほかならぬ会議。また摂政の重任でもある。
この日だけは、どうあろうと、欠席は出来ない。
基房は、度胸を決めて、参内の についた。
右大臣九条兼実は、基房の弟である。
その兼実の日記 “玉葉” には、こう見える。

"廿一日、陰晴定マラズ、寒風シキリニ吹ク。
コノ日、御元服ノ議定アルニヨリ、サル ノ刻、束帯ヲ着シ、大内ヘ参ル。中納言雅頼ト陽明門ニ会シ、供ニ花徳門ヲ経、南殿ノ御後オンウシロ ナル殿上ヘ参ズ。
余、御前ニ参候、シバラ クスルノ間、 ル人云フ。摂政、参リ給ハズ、途中ニオイ テ、帰リ給フコト出来終ンヌト。驚イテ、人ヲシテ見セシムルノ処、事マサニ実ナリ・・・・"

「さては。・・・・先日の意趣か?」
と、ぎょっとしたのは、ひとり兼実だけではなかったらしい。
宮中でも、変事へんじ のため、急にその日の議定を取り止めたほどだった。
会議は他日に延期され、諸卿は、なすことも知らず、
「摂政のおん身に、万一がなければよいが」
と、ひとごとならず、恟々きょうきょう としていた。。
兼実は、人びとの退出につづいて車を急がせ、ちまたぼ風説を、 きただして行くうちに、兄の身には、つつがないことが、ようやくわかった。
しかし、事件は、奇怪であった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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