「あの温厚な小松殿が、このたびのことだけには、よほどお怒りらしく見える。客に会えば、心外なと、お口にもらしておられるそうな」 基房の館へ来て、わざわざ、こう教えてくれた者さえある。 「なんとか、大事にいたらぬうちに、御善処をなされては」
と、言外の注意をほのめかして言う。 何しろ、ときめく平家だ。太政入道殿のお孫だ。当
の重盛そのひとは、猛からず、柔和すぎず、まことに中庸を得た人物であると、後白河法皇なども清盛以上に、褒ほ
めておいでになるから ── なんとか誤解は溶けようけれど、恐こわ
いのは、入道殿である。 「ああ、・・・・あとの祟たた
りこそ」 と、基房は、ふるえあがった。 「相手をこそ見て、物も言え、争いさか
いもなせ。人もあろうに、太政入道の孫へ向かって、なんたるうつけをしたものぞ」 と、家の随身や舎人とねり
たちを見ては、あの翌日から、がみがみ怒鳴りとおしの彼であった。 「── あほうといおうか、なんといおうか。わざわざ主人の身に、禍わざわ
を招き求めて、それがそも、なんの鬱憤うっぷん
ばらしぞや。憎い舎人どもめ。腹立たしい牛飼めが」 しかし、内輪でいくら召使をののしってみてもはじまらない。── それらの下手人を勘当するなり、または、搦から
めて、小松殿へ送られたら、小松殿のお怒りもとけ、自然、入道殿のお耳にもはいらずに、お詫わ
びがすむのではあるまいか。── こう教えたのは、右少弁兼光であった。 「ようぞ、思いつかれた。では兼光、お許がその使いに立ってくれるか」 「御同意なれば、参りましょう」 「幾重にも、儂み
に代って、詫びて来い」 基房は、やや眉まゆ
をひらいた。そして、随身二名、舎人数名、牛飼までを、数珠じゅず
つなぎにして、小松谷へ差し立ててやった。 やがて、使者の右少弁兼光は、手もちぶさたで返って来た。 連れて行った召使の下手人は、すべてそのまま、連れ戻った。 「いかがしたぞ、兼光」 「小松殿には、お風邪かぜ
とやらで、ついに、お会いくださいませぬ。・・・・が、家人けにん
を通じてのおことばには、かかる雑人ぞうにん
どもに、用はない。下部しもべ
の責めを、主人が負うて出た話はよく聞くが、主人の科とが
を、部下が負うて出るとは心得ぬ。── いずれにせよ、連れ戻り候えとのみで、ほかに、お応こた
えもございまず、やむなく引き退って参りました」 基房は、また、滅入めい
ってしまった。かえって、恥をかきにやったような結果に終わった。 |