〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/23 (日)  じょう かね ざね にっ (二)

多勢に小勢だ。
結果において、六波羅の供人たちは、さんざんな目に遭わされた。相手にも、痛打を与えたが、こっちも、たくさんな怪我人を抱え、ひどく狼藉ろうぜき を加えられた女車の上に、なかなか泣きやまない主君の資盛を乗せて、
「忘れるなよ。今日のことを」
と、初めの気負いもなく、捨てぜりふを投げて、引き揚げて行った。
もう宵闇よいやみ は濃く、大宮並木には、ひぐらし の声も、絶えていた。
へん を聞いて、小松谷の重盛のたち から、迎えに駆けて来た松明たいまつ の一群れが、
「そこへ来たのは、妹尾せのお 四郎か。若君は・・・・若君はおつつがないか」
と、声せわしくたず ねながら、近づいた。
「おう、鵜川うがわ 殿か、残念だ。摂政家の随身らに、言語道断な恥辱をうけ、こなたは、人数も少ないために」
「いきさつなどは、おやかた の前で言え、若君に、お怪我はないのか」
「お泣きになってはおられるが、おからだに別状はない」
「御父君として、お館の御心配は、どれほどぞや。はやく来い、はやく」
重盛の近習、鵜川主殿とのも は、主人の語気をそのままに、みぎたない供の面々をしかりとばした。
「── 無事かよ、資盛は」
小松谷のてい へ、車が入ると、奥の方で、すぐ重盛の声が聞こえた。
広前に、かがりを かせ、彼は、そこに立っていた。
子を思う親心を、姿にみ見せ、重盛は、内にもじっとしておられなかったものらしい。
供頭ともがしら の妹尾四郎吉兼は、もとより非を自分にありとは言わなかった。あくまで、摂政家の御随身みずいしん が乱暴によるものだと、重盛へ訴え、こちらが礼儀をする用意も待たずに、不礼なりと呼ばわって、若君をはずかし めたゆえ、自分たちも、主君の恥じは身の辱と心得て、戦ったものと、言いつくろった。
重盛は、色をなして聞きすました。日ごろは余り感情を現さない人であったが、
「夜目なればともあれ、重盛の子と、わきまえのつかぬはずはあるまいに、心得ぬ基房卿のお仕打ちではある。きっと、この落着を、つけねばならぬ」
と、この時ばかりは、よほど腹を立てた容子であった。
それへの示威を含んだものに違いない。重盛は、その翌々日の五日に、参内したが、常の行装とは異なって、おびただしい、武者を供にひきつれ、
「摂政の君に会い奉らば、一言、もの申さん」
という気勢を示して、参内した。
基房は、見えなかった。
彼は、その日も、それからの数日も、家にひきこも って、まったく、外出も恐れていた。
あの日の、女車の内なる者が、清盛には孫に当り、また父の小松重盛にとっては、珠の如く愛している二男の資盛であったことを、やがて、後に知ったからである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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