〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/21 (金) 車 あ ら そ い (二)

ただ習慣というだけでなく、そのころ、廷臣間の礼儀には、非常に厳格な規定があった。
かつて、宮中の菊の御宴ぎょえん で、時の関白忠通ただみちあく 左府さふ 頼長とが、その席次のことで、大議論をかもしたことがある。あれなど一例といってよい。
たとえば、途上礼とじょうれい にしても、参議以下の公卿が、摂政関白の車に出会ったときは、車の牛をながえ から解いて、立礼するのが、正しいとされている。
保元、平治の合戦の後、世態も人の心も変わって来たので、そういう作法もだいぶ略礼を執るようにはなっていた。── けれどなお、摂政車が通過するときは、道を避けて、扈従こじゅう の者の平伏はもちろんのこと、車上の主人も、謹んでこれを見送るぐらいな礼儀は決して失われてはいない。三歳の童子もわきまえているはずの、時代の常識とされていた。
ところが、である。
いま、前の方から進んで来た女車の列には、そんなはばか りは少しも見えない。
こなたの摂政車が、徐々に近づいて行くと、あなたの女車は、猪熊いのくま の大路も狭しとばかり、道の真ん中を押し通して来る。
二十けん ─ 十五間 ─ 十間 ─ 七、八間 とその間隔は、いよいよ接近して来たが、いっこうに避けるふうもない。
あわや、先駈けの者と先駈けの者、牛車と牛車とが、鼻づらを付き合わすばかりになっても、なお先方の女車の列は、
(── 避けるなら、そっちで避けろ)
といい合わせているような様子であった。
そこで、こらえかねた基房の随身たちは、わらわらと、前へ出て、
かたわ らへ、寄り候え。道を けられい」
と、手を振って、制止した。
── が、なお、車はそのまま寄って来た。
基房の随身の一人は、顔を燃やして、
「つんぼか!」
と、大声で、どなりつけた。
ほかの面々も、口をそろえて、
「眼にも見よ。これは、殿下でんか御出ぎょしゅつ なるに!」
「不礼であろう」
御出ぎょしゅつ にたいして、狼藉ろうぜき な」
「そも、どこの何者ぞや」
と、ののしり浴びせた。
けれど、相手の供人ともびと たちは、みな、かえるつら に水のような無関心をよそお っていた。── あっと基房の前列は、左右へ道を跳び開いた。女車の牛が、大きな車の輪とともに、のそりのそり、眼の前の人間どもを無視して、群れを割り込んで来たからだ。
「停まれっ。やい、停まらぬかっ」
基房の随身は、いきなり女車の牛飼を、 りたおした。そしてその手から、牛の手綱を引ったくって、
「── この、無法者めが」
と、力まかせに、道ばたの方へ、女車を、引っ張り寄せたのである。
「おのれ、主人の車に、手をかけたな」
こう息まいたのは、女車に いていた、雑色ぞうしき や、わらべ たちであった。
後ろにいた者まで、わっと、一せいに前へ出て来た。そして喧嘩腰かんかごし に、
「よくも、わが主人の車を、はずかし めたな。やい、なんの意趣かよ」
と、たけ った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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