〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/20 (木) か む ろ (二)

「仰せですが」 と、種直は言った。 「── 都へ出て、気づきましたが、御一門のかくあるをそね む公卿たちの、密かな謀みも、ゆめ、御油断はなりますまい。栄花、専横などとは、人のそし りです。西八条の御内のどこに、かつての藤原氏がやったような遊惰ゆうだ逸楽いつらく や、わが世の春をうた うようなおご りがございましょう。・・・・いわれなき世上の非難です。それを、たれが言わせているかと思うと」
「まあ、待て、清盛に分かっていないことではない。── が、そこを いたら、何が、表面に出て来るかだ・・・・清盛はこわ いのだ」
「というて、もし先の準備がととのって、御一門の危急とでもなっては」
「そこまでは、おれとて、黙っては見ておらぬ。・・・・太政大臣の職にせよ同じことだ。政治は、人間の職として、その尊さ、意義の深さ、やりがいもあること、最高の職といってよい。が、いまその職にあって、真心から、世の建て直しをしようとすれば、たちどころに、天下は大乱におちいる。思うてもみろ、諸国の宿弊しゅくへい を。国司、郡司、社寺などのみだ れを。そしてそれはみな摂関家の領国やら、叡山、南都の法師たちとも、おのおの結びついておる。いやいや、何よりは、法皇のみそなわし給う頑強がんきょう な院政がこれをはば めるであろう。・・・・ここにもまた、太政大臣すらが、手もつけられぬ禍根がある」
「── というお言葉の意味は、つまるところ、すべての禍因が、院政にあるというお考えでいらせられますか」
「うム・・・・」 と、清盛は口を閉じた。眼もふさいだ。が、やがて静かな声で心の奥のものを吐くように言った。
「── 種直。うかと、ひとには言うなよ。・・・・わぬしは、九州第一の平家の方人かたうど 、かつは重盛のむすめとつ いでおる一族中の腹心と想えばこそ、じつを明かすが、じつもって、清盛は多年それを案じておる。── 院政こそは、国のみだ れをなすもと ぞと」
「種直も、相国と同じ憂いをもちまする。いや心ある者は、みな感じているでしょう。保元の乱、平治の戦いも院生が生んだのろ だということを」
「清盛にとれば、その呪いの火が、平家をして、かく繁昌せしめたのだ。いいかえれば、わが家のこうなったのは、院政のおかげであった。── その清盛が、院政の宿幣をいうのは、おかしいが、法王とて、平家のこうなるのを、予測もされず、好まれもしなかったことだけに、今では、御後悔もただならぬものがある。── いつかはと、平家の滅亡を心がけておいでになる」
「にもかかわらず、なんぞといえば、おんみずから御車を向けられたり・・・・?」
「そこが、おもしろさよ。あの御方おんかた の、なみなみならぬところでもある」
「危ういことです。地方武者の種直ごときには、よく分かりませぬが」
「わぬしらは、知る必要のなかろう。清盛だけに承知しておればよいことだ」
主従は、ここで沈黙した。
そして数献を み交わして、また、
「なにしても、わぬしの助力をたの むぞ。大宰府を始め、わぬしたち、筑紫の平家一味が、こぞって、力をあわ せてくれぬことには、清盛が海への大願望も成し遂げ難い」
「その儀ならば、大言のようですが、筑紫平氏のわららを、お心恃こころだの みに遊ばしてください。いかなる難役なりと、ひる むものではございません」
「わぬしがおるので、心丈夫よ。・・・・そうだ、帰国の途中、福原に泊って、朱鼻あけはな とも会い、よく彼とも談合をとげて行くがよい。── あの鼻も、なかなかな男ぞよ。どうだ、おもしろいやつであろうが」
「いや、おもしろ過ぎる男ですよ。商策、土木、いくさ 以外なかけ引きにかけては、腹の大きなこと、才機の働きなど、われら武人には及びませぬ」
話が、朱鼻のうわさになると、主従の間に、幾たびも、笑い声が起こった。伴卜ばんぼく は、福原あたりで、くさめをしていたに違いない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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