〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/20 (木) むし いつ (六)

宋医は、つぶさに、清盛の体を診察した。小首をかしげ、ブツブツ何かつぶやいていたが、やがてひとりでうなずいて、あとへ退かった。
なお るであろうか」
と、清盛は仰向いたまま、顔をこっちへ向けて、宋医にたずねた。
宋医は、笑って、
「たぶん二、三日うちには、すっかり御恢復ごかいふく になられるでしょう」
と、答えた。
余りに、軽く言って帰って行ったので、なんだか、うそ のように思われた。けれど、宋医の薬を んでから、翌朝にはもう気分が一変していた。その日も多量な湯薬を飲みつづけた。夜は昏睡こんすい でないこころよい眠りに落ち、清盛の室からいびきがもれた。
すると次の日、清盛はかわや へはいって、やがて厠から出て来たと思うと、病室までの廊下を、笑いつづけに、ひとりで笑いながら戻って来た。
相国しょうこく には、何をそのように、お笑い遊ばすのですか」
宿直とのい の人びとが怪しんでたず ねると、清盛はここ幾日にもない元気な語調で、
「たしかに、おれのやまい は癒った。たった今、厠の内で、しり から一斗も虫が出たぞ。中にはこんなに長いひも のような虫も出たぞ」
と、大真面目に、両方の手を拡げ、その長さを示して言った。
「えっ。虫が?」
と、人びとは亞然あぜん たる顔をした。
「そうだよ。腹の虫だった」
「おたわむ れを」
「たわけ者。わが身の業病ごうびょう を、たれがごと に、もてあそ ぶか」
「では、それがお病の因であったのでございましょうか」
「そうだろう。思うに、幼少から虫気の多いおれであった。物心ついては、親に ねたい虫、食いたい虫、泣きたい虫。長じては、世に逆らいたい虫、負けん気の虫、そして近ごろになっては、腹にすえかねる我慢の虫もたくさんわかせていおった。たとえば院の近習虫なども、 み殺していたつもりだったが、いつか五臓にたた ったのだな。・・・・こりゃときどき、名医にかかって、腹を洗わねばいかん。何しろ、すがすがしたぞ。水飯すいはん でもさらさら食べたいほど、腹も減って来たわ」
そういって、彼は、人一倍大きな声で哄笑こうしょう した。
おそらく清盛の病症は、回虫か絛虫さなだむし だったに違いない。
平安朝医学では、まだ寄生虫病の正体がはっきりつかめていなかった。一括して、腹中に住む?虫あくた といったり、胃虫、肉虫、赤虫などと分類して、九虫と呼んだり、これも、祟りや物厭ものい みにむすびつけて、祈祷師がなお すものとしたりしていた。
今昔物語には、典薬頭が女の絛虫さなだむし をとってやる話が出ている。 “初めは寸白といふ虫ならんとて、抜くに従って、綿々めんめん と長く延び、ちやう の柱を七ひろひろ ばかりも巻く” ── と誇張されている。まさか、いくら平安朝時代の回虫や絛虫にも、そんな長いのはいなかったろう。清盛の言った 「虫一斗」 と同じような表現に違いない。
しかし、西八条の家臣たちは、さっそく、下部の者から、かわや樋洗ひすまし の女 (毎晩、雪隠の下を掃除して歩く肥汲みの女) に、翌朝の物を持ち去ることなかれ ── と停止させておいた。
その朝、一同は顔を寄せて、相国の御糞ごふん恐々こわごわ とのぞき合った。そして口々に、
「あなおそろし。・・・・いかさま、これは、虫ばかりよ」
と、舌を巻いてふるえあがった。
相国全快の報は満都に伝わった。── たれが言い出したか、このときにも、平相国が?龍だりゅう のような虫を吐き、虫は奇妙な鳴き声を発して、西八条の大廂おおひさし から雲を呼んで昇天したというような怪異を語る者があった。
けれど、何しても、西八条と六波羅は、夜が明けたような活気を取り戻していた。瑞雲ずいうん が立つとか、五彩の雲が動くとか言う形容にもふさわしい車駕しゃが の往来が動き初めた。終日にわたる祝賀や、大殿おおどの の燈籠やら、管絃かんげん の音色まで、この春も、つつがなく、平家一門の上によみがえって来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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