ざっと、清盛の考えは、日ごろからそんなものであった。──
そのせいか、病夢のうちにも、彼は変な幻覚にとらわれたことはない。高熱でウツラウツラ昏睡
に陥るばあい、たれしも、幻影を描くものだが、清盛は眼がさめると、もう一ぺん幻覚の世界へ返りたいと思うほど、その昏睡が楽しかった。 醒さ
めると、五体のだるさや、鼓脹こちょう
した腹部の苦痛や、得体の知れない吐き気だのに襲われて、思わず呻きたくなったが、熱が高まると、一切の肉体的苦患がかすんでゆき、そして、いつの間にか、魂は、縹渺ひょうびょう
たる雲間を、身に羽衣をつけているように、ふわふわと飛ぶが如く翔けめぐる・・・・。 意識ともいえない意識が、 (ははあ、これが、生と死の境というものか。そのどっちでもない空間だな) と、自分でもたれでもない者が、どこかで、考えていたりする。 すると、天楽てんがく
が聞こえ、天女や童子の舞楽が雲を縫い始める。 その中の一童子は、よくよく見ると七歳の頃の自分なのだ。所は祗園ぎおん
の舞台らしい。雲と見えたのは桜である。── 母の祗園女御が、花の下で、自分の舞を見て笑っている。父の忠盛もそばにいる。 (母よ、父よ・・・・見ませ。わが舞を) 清盛は舞いぬく、舞い疲れるまで舞っている。 どうしたのか。忽然こつぜん
と、父も見えない。母もいない。 破れ笛のように、ピイピイ泣いている子どもらの声がする。爺じい
やの子守歌が哀れを誘う。厩うまや
の馬まで飢えた顔を並べ、青い夕月の下に、今出川の貧乏屋敷が沈んで見えた。 ── 清盛は、幼い弟たちの飢ひ
もじげな泣き声に、狂気しそうな焦燥しょうそう
をいだいてうろうろし始める。母は、この子や貧乏な家を捨てて出てしまった。父は・・・・と奥をうかがえば、黙然と柱に倚よ
って、スガ目の面を軒ばへ上げてしわっている。 (わたしはたれの子でもない。あなたこそ、わたしの父だ。白河の御子であるよりは、あなたの子でいたいのです。父と呼ばせてください、父上) ──
父上父上と、清盛は夢うつつに言い続けた。 すると、枕まくら
もとで、 「いかがなさいました父上」 と、重盛が顔をのぞきこんでいた。 宗盛もいる。経盛も横にいる。皆して、揺り起こした様子だった。 「・・・・ああ。何かおれは、おかしなことでも、言っていたのか」 「うなされておいででした」 「夢は楽しいよ。醒さ
めると、苦しい」 「ただ今、筑紫表つくしおもて
から、太宰少弐だざいのしょうに
、原田種直が、宋医をつれて、馳は
せ上のぼ ってまいりました。・・・・すぐお診み
せ遊ばしてはいかがでしょうか」 「宋人の医者か。うウ、診てもらおう」 清盛もその便りは待ちかねていたところらしい。すぐ、種直を招き入れた。 まもなく、種直は控えに戻って、ひとりの宋人を病室へ伴って来た。白鬢はくぜん
を垂れ、道服どうふく を着、鶴つる
のような仙骨せんこつ の老人だった。 |