〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/19 (水) むし いつ (四)

清盛は、病に弱い。
元来、壮健な質なので、日ごろにおいて、病に対する心構えがまるでない。 「おれにも病気はあったのか」 と病気におび え、誇大な妄想もうそう を、病気と一しょに持つのである。
(およそ、御病気というと、あなたほど、意気地のないお方はありません)
妻の時子は、よくそれを笑った。
それほど、ちょっとした腹痛や微熱でも、おかしいほど、大げさに騒ぐ彼である。
しかし、今度の場合、まったく容子が違っていた。第一、そう病人がさわ がないし、食物も らなければ、高熱も下がって来ない。
しかもおりおり、病室からは、うめ き声が聞こえ、囈言うわごと めいたことを言う。
主治医たちはまゆ をひそめ出した。池ノ禅尼も時子も重盛も、持仏堂にこも って、加持かじ 祈祷きとう に、帯紐おびひも を解いたこともない。日々、諸山へ祈祷の使いを立て、一門は深い憂いに沈んでしまった。
当時の通弊つうへい として、すぐ物の祟りが言い出される。このころ、しきりに陰口が聞こえ出した。
(むかし、安芸守あきのかみ どののころ、日吉ひえ 山王さんのう神輿みこし に矢を射た神罰であろうぞ)
叔父おじ に当る平ノ忠正どのを、河原で斬った怨霊おんりょう やも知れぬ)
── いや、義朝のたた りであるの、讃岐さぬき で崩ぜられた崇徳院すとくいん御呪おんのろ いもあろうぞなどと、保元、平治を通じて、非業ひごう の死をとげた人びとの魂魄こんぱく が、みな西八条の大屋根の上に、雲となって、おおいかぶさっているように言うのである。
これらの陰口が立つ出所には、常に平家にこころよくない一群の公卿がある。その一群の者こそ、何か機会のあるごとに、西八条の大屋根に降りて来る変化へんげ の物と言ってよい。
しかし清盛は、そういう卑屈で陰性な敵に対し、特に敵意を構えたことはなかった。慢心といえば慢心であったろうが、怖れるほどな存在と思っていないのだ。
なおのこと、死霊だの生霊だのと、よく人の言う “物のたた り” なども、気に病んでみたことさえない。
保元、平治の修羅しゅら の中は通って来たが、かえりみて、彼は、一切の過去の人間から、祟られるような記憶は残していなかった。たしかに、時運に恵まれた。優勝劣敗の烈しさに克って、勝者たるべく生命を して相手を討ちほろ ぼして今日には至っている。── けれど、それは戦いだ。しかも清盛からたくら んだ戦いではない。みな、亡びた者自身が仕掛けて来た合戦ばかりである。そうした亡者もうじゃ どもから祟られる筋合いはないが、それでも化けて出るものならば滑稽こっけい な化け物と言うしかありまい。香華こうげ を供えてやる価値もないものである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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