〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/19 (水) むし いつ (三)

清盛としては、輪田の開港や、日宋貿易の誘致などを、もとより一家のこととはしていない。国家百年の計というつもりである。
けれど、院中の諸公卿は ── ことに寵臣ちょうしん 西光のごときは、それをもって、清盛が常備の軍団を置く地とする目的であると い、
(もし、大輪田が、大船の出入りにも自由な港となれば、清盛の持つ西海地方の勢力は、いつでも、その与党の兵を、都の近くへ上げることが出来、ゆゆしい脅威となりましょう。宋との交易で利益を受けるものは、平家だけです。これ以上、平家が武力に富を加え得たら、どんなことになるかもしれますまい)
と、極力その不成功を念じていたほどである。
従って、清盛が希望していた工事の国営化は、なんのかのと、異議がはいって、さまた げられて来た。いかに彼の地位をもってしても、法皇の御同意がなくては、実現されることではない。
── が、それを今、法皇は、」清盛に確約された。
そればかりでなく、この日、法皇と清盛とのあいだには、もっと重大な御内談もあったことが、後になって分かった。
六条の御退位と、そして、東宮 (高倉)践祚せんそ であった。
法皇には、早くから、そのお考えを持たれていたらしい。滋子しげこ の御腹にできた高倉を即位させて、なお完全に、朝威の上の御位置を確定づけようという御希望なのである。
また、これをもって、清盛を喜ばせ、清盛を駕御がぎょ してゆこうというお胸もあった。しかし清盛がよく法皇の籠絡ろうらく するところとなるか、あるいは、法皇がかえって清盛に利用されてしまうであろうかは、たれも予測はつかないし、うかがい知ることもできなかった。ただ両者のはらく と肚とにある大きなかけ引きと見ているほかはない。
還御の後も、法皇は、その日、清盛と黙約されたことを、たれにもおもらしはなかった。
次の日、ふたたび、見舞いとして西八条へおつかわしになった院の医博士、出雲広行が、やがて立ち帰って来ると、近習を遠ざけて、そっとおたず ねになった。
「今日の容体はどうであったの。そちが たところで、清盛は助かるであろうか」
「さあ、どうも、おむずかしいように拝診されました。なんとも、病症の分からない怪病けびょう で、診断に苦しみまする」
怪病けびょう とな、ふうむ」
法皇は、お胸のうちで、何かを思いながら聞いておられるような、うわ眼づかいをしておいでになった。
清盛がここで終わるもよし、また、生きるもよし、へん に応じてなすべき方針は、万全であると、ひとり問いひとり答えておいでになるもののようである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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