人心の常である。 「もし、平相国が世を去ったら?」 と、人びとはすぐあとを予想した。 平家全盛とはいえ、まだ固定した勢力とはいい難い。 当然、政権はいよいよ院中心となり、後白河のお考えの如何によっては、武門もどう分裂し出すか分かるまい。平家の独占を許しておかれまいことは明白といえよう。 それかあらぬか、院の御門もにわかに色めいて、上卿や諸公卿の出入りが、朝夕、活発になっていた。 そうした一日
のこと。 法皇には、御車を命じて、 「清盛を見舞わん」 と、ふれ出され、親しく、西八条へ御幸あそばした。 もちろん、あらかじめ、報じてはある。 一門の人びとは、お迎えに立ち並び、病人の清盛は、わけても恐懼きょうく
の容子ようす だった。 塵ちり
を掃き、香を焚かせ、臨御りんぎょ
のお姿へ、ぬかずいた。 「横になっているがよい」 法皇は、清盛の痩や
せを、すぐお気づきになって、こう労いたわ
られた。 「いや、耐えられぬほどではありませぬ」 白絹の病衣をかえて、正しく座した彼は、常の清盛よりも、行儀よく見えた。 「お食も余りすすまぬそうだが」 「五体は気懶けだる
うて、何の意欲にも欠け、熱のせいか、うつらうつら、幾日も同じ容体をづづけております。とかくして、肉は落ち、心は萎な
え、はや定命じょうみょう の近づくやと」 「はははは、御辺らしくもない」
と、法皇はかろく笑い消されて 「── まだ五十一歳、男のさかりでは在わ
せられぬか。かつは、朝家の御師範、一門の棟梁とうりょう
。そんな弱気なことでは困る。なおなお、望みも多かろうに」 すると清盛は、正直に、なおこの世に思い残りの多い顔をした。 「仰せのように、まだ死にたくはありません。けれど定命じょうみょう
はいかんともなし難しです。それに、寸前をさだめぬ人寿をもちながら、身に過ぎた事業を夢み、それらのことがみな中道に止んでしまうのが残念です」 「何がさように心がかりかの」 「第一に、大輪田ノ泊とまり
です。あの海港の築堤を、工事の半ばに廃や
めてしまうのは、いかにも口惜しく思います。清盛が亡き後は、あれほどな大工事、とても一家の経営では成すことは出来ますまい。・・・・願わくばこのさい、国費をもって、工を継続されんことを、お願いいたします。清盛が一期ご
のお願いとして、お肯き きいれ給わらば、いくらか心が安まりましょう」 「よろしい。それは今、約しておこう」 「やれ、御聴許を賜わりましたか」 清盛は心からな喜びをあらわした。──
この問題は、多年、法皇と彼との間に、一つのわだかまわりとなっていた障壁しょうへき
であった。 |