平安朝の遠い世ごろから、女たちは、女の自由を、貞操の限界だけでは、かなり放縦にされて来たが、結局、彼女たちは、貞操だけの自由に今は疲れ果てていた。──
もっと広い自由に何か欠けていたからである。人間としての自由はない。彼女たちは、白拍子でなくても、つねに男のもてあそびものであった。 惜しげもなく、黒髪を捨てた女性たちの、なんと、この時代には、多かったことか。それはみな、彼女たちの、弱い苦悶
の魂の、もがきでないものはない。 ── 栄華や富貴は夢の夢よ。 ── 世は浮世、まことの世は彼岸ひがん
にこそ。 ── 後世の願いこそ大事なれ。 ── 人の身は受け難く、仏縁には会い難し。 といったような考え方が、男といわず女といわず、いつも生活のかたわらでささやいていた世代である。ややもすれば、人間の困憊こんぱい
は、 「仏陀のおにざもとへ・・・・」 を、願いとした。 それは、生命いのち
を捨てない自殺、死までは行かないある形の死 ── ともいえる生死の中間をとった特殊な生存の仕方であった。 妓王の剃髪ていはつ
も、その母の出家も、そうした世風の外の出来事ではない。妓女の純情は、まだ男性にさえ、未開花の乙女だけに、なおさら可憐いじら
しいものだった。ただ時代の信じるものを信じて、墨染を着たまでのことであろう。 ところが、またその後にも、もう一人に美しい尼が、この庵へ来て、妓王母子と、ひとつに暮した。 仏御前である。 やがて、仏御前も、西八条の栄花の門をのがれ出していた。そして、ある夜、奥嵯峨の柴しば
の戸をほとほと叩たた いた。妓王が出てみると、もう墨染の法衣姿ころもすがた
となっていた仏御前であった。 「まあ、どうして?」 と、手を取り合って、内へ入れ、夜もすがら、炉辺ろへん
に思いを語り合った。以来、四人一所しよ
に、一つ蓮はちす の誓いを契り、朝夕念仏を唱えて、往生の素懐そかい
── 仏教的な生活を、長く、つつがなく、ここに送ったというのである。 いずれも、あわれというほかはない。 もし鉦かね
の音のもれる垣間見かいまみ に、さしも聞こえのあった都の名妓たちの、寒々さむざむ
と、黒髪を剃りこぼちている姿を見かけたなら、たれでも、不愍ふびん
を禁じ得なかったであろう。 ── されば、後白河法皇の長講堂の過去帳にまで、妓王、妓女、その母、仏御前などの四人の名が書き入れられたほどだが、果たして、後白河のお心であったかどうか分からない。 もしまた、清盛が、妓王と仏御前の出家を聞いたら、なんと言ったであろう。おそらくは、大いに笑ったに違いない。そして、あたりの侍者へ、例の調子でこうも言ったことであろうか。 「わからぬよ。どうもおれには、性来、おれは女の心を解さぬ男にできているのだろうか。・・・・それにしても、どうして若い女どもが、やたらに髪を切りたがるのであろう。こんな流行はや
りは、止めさせねばいかん。男の入道にゅうどう
とは、わけがちがう。姿ならままよ。可惜あたら
なものだ。── 清盛の室の花であろうとなかろうと止めさせねばいかん。浮世のながめが淋さび
しくなる・・・・」 |