〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/18 (火) 四 人 尼 (三)
やがて、大殿おおどの へ導かれたものの、かつて彼女が召された辺りまでは、通されもしなかった。はるかに遠い下床しもゆか に、座敷をさだめられて 「そこに、控えていよ」 と、家臣たちにさえ、冷やかに扱われた。
仏御前は、清盛を責めた。
「せっかく、使者をやって、お招きしておきながら、座敷を下げて、あのように区別なさるのは、まるで辱をかかせにお呼びになったようなものです。妓王さまを、あのようにお扱いになるのなら、わたくしもこの席にはいられません」
清盛は笑い出した。
「そなたは、まるで駄々っ子だな。妓王に会いたいというから呼んでやったのではないか。どうすればよいのか」
「わたくしと、同じようにしてくださいませ」
「では近々と、招くがいい」
仏の感傷にも、妓王の感傷にも、清盛はまるで無関心な様子だった。おかしいと言えば、木の葉の舞うにも笑いこけ、悲しいといえば、花の散るにもすぐ涙をこぼす年ごろの女たちを、清盛は、しいて理解してみようなどとは、考えてみたこともない。
「妓王と、そこな白拍子ども、仏御前が、ああ申す。近くへまで、寄ったがよい。── そして、仏のつれづれを、慰めてやれい。今様いまよう を歌うなと、まい を舞うなとして、いつも浮かぬ仏御前を皆して慰めよ」
正殿の清盛のわき細殿ほそどの にも、この日、公卿の客やら、一門の平家びと たちが、居流れていた。廊には、諸太夫や侍たちの顔まで見える。こういう中で、清盛は言ったのだ。 「仏を慰めよ」 と、そして、「客のために見せよ」 とは言っていない。
妓王は、床に手をつかえて、
「── かしこ まって候う」
と、小声で答えた。
頭を下げたはずみに、こられていた涙が不覚にこぼれた。自分には虚栄はないと、つねに虚栄をさげす んでいたくせに、今の身のみじめさが、 い入るように、胸をかんだ。嫉妬しっとらぎ られる心の揺れを、どうしようもなく、しばしそのままな姿を持ち支えていた。
「いかがいたしたぞ、妓王」
たれかの声に、耳を打たれた。妓王は、はっと我に返って、はふり落つる涙もぬぐわずに、今様いまよう を歌った。
仏も昔は凡夫なり
われらもつひ には仏なり
いづれも仏性、 せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
ふたたび、三たび、くり返して歌ううちに、彼女のほお の涙は乾いた。かえって、聴き入る公卿や、諸臣の眼に涙がうかんでいた。
仏御前は、すすり泣いた。清盛もさすがにあわれを覚えたものか、もう舞えとも いなかった。べつな部屋で馳走ちそう をさせ、引き出物など種々くさぐさ 与えて、夜にはいらぬうちに四人を返した。
                           *
その年の春、嵯峨さが の奥、往生院おうじょういん のそばに、草のいおり を結んで、住みはじめた母子おやこ の尼がある。
妓王と、その母とであった。
幾日もたたないうちに、また一人の初々ういうい しい若尼が加わった。妓王の妹の妓女である。
「そなたまでは・・・・」
と、母も姉も、妓女の黒髪を惜しんだが、極道ごくどう の父良全は、朽縄くちなわ と一緒に、そのころ都から姿を消して、生死も分からなくなっていたし ── それは姉の悲運を見たり、富貴の悪戯いたずら を見たり、世間にも、遊びの世界にも、いとわしくなって、
「わたしも、おかあ様のそばにいて、お姉さまと一つに、女の一生を、清々すがすが と通してゆきたい」
と、せがむままに、やがて彼女も一つ庵に念仏して、 びしくも、水入らずの草庵暮らしをともにすることになったのである。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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