やがて、大殿
へ導かれたものの、かつて彼女が召された辺りまでは、通されもしなかった。はるかに遠い下床しもゆか
に、座敷をさだめられて 「そこに、控えていよ」 と、家臣たちにさえ、冷やかに扱われた。 仏御前は、清盛を責めた。 「せっかく、使者をやって、お招きしておきながら、座敷を下げて、あのように区別なさるのは、まるで辱をかかせにお呼びになったようなものです。妓王さまを、あのようにお扱いになるのなら、わたくしもこの席にはいられません」 清盛は笑い出した。 「そなたは、まるで駄々っ子だな。妓王に会いたいというから呼んでやったのではないか。どうすればよいのか」 「わたくしと、同じようにしてくださいませ」 「では近々と、招くがいい」 仏の感傷にも、妓王の感傷にも、清盛はまるで無関心な様子だった。おかしいと言えば、木の葉の舞うにも笑いこけ、悲しいといえば、花の散るにもすぐ涙をこぼす年ごろの女たちを、清盛は、しいて理解してみようなどとは、考えてみたこともない。 「妓王と、そこな白拍子ども、仏御前が、ああ申す。近くへまで、寄ったがよい。──
そして、仏のつれづれを、慰めてやれい。今様いまよう
を歌うなと、舞まい を舞うなとして、いつも浮かぬ仏御前を皆して慰めよ」 正殿の清盛の座ざ
、脇わき の座ざ
、細殿ほそどの にも、この日、公卿の客やら、一門の平家人びと
たちが、居流れていた。廊には、諸太夫や侍たちの顔まで見える。こういう中で、清盛は言ったのだ。 「仏を慰めよ」 と、そして、「客のために見せよ」 とは言っていない。 妓王は、床に手をつかえて、 「──
畏かしこ まって候う」 と、小声で答えた。 頭を下げたはずみに、こられていた涙が不覚にこぼれた。自分には虚栄はないと、つねに虚栄を蔑さげす
んでいたくせに、今の身のみじめさが、蝕く
い入るように、胸をかんだ。嫉妬しっと
に沸らぎ られる心の揺れを、どうしようもなく、しばしそのままな姿を持ち支えていた。 「いかがいたしたぞ、妓王」 たれかの声に、耳を打たれた。妓王は、はっと我に返って、はふり落つる涙もぬぐわずに、今様いまよう
を歌った。 |
仏も昔は凡夫なり われらも終つひ
には仏なり いづれも仏性、具ぐ
せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ |
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ふたたび、三たび、くり返して歌ううちに、彼女の頬ほお
の涙は乾いた。かえって、聴き入る公卿や、諸臣の眼に涙がうかんでいた。 仏御前は、すすり泣いた。清盛もさすがにあわれを覚えたものか、もう舞えとも強し
いなかった。べつな部屋で馳走ちそう
をさせ、引き出物など種々くさぐさ
与えて、夜にはいらぬうちに四人を返した。 * その年の春、嵯峨さが
の奥、往生院おうじょういん のそばに、草の庵いおり
を結んで、住みはじめた母子おやこ
の尼がある。 妓王と、その母とであった。 幾日もたたないうちに、また一人の初々ういうい
しい若尼が加わった。妓王の妹の妓女である。 「そなたまでは・・・・」 と、母も姉も、妓女の黒髪を惜しんだが、極道ごくどう
の父良全は、朽縄くちなわ と一緒に、そのころ都から姿を消して、生死も分からなくなっていたし
── それは姉の悲運を見たり、富貴の悪戯いたずら
を見たり、世間にも、遊びの世界にも、いとわしくなって、 「わたしも、おかあ様のそばにいて、お姉さまと一つに、女の一生を、清々すがすが
と通してゆきたい」 と、せがむままに、やがて彼女も一つ庵に念仏して、侘わ
びしくも、水入らずの草庵暮らしをともにすることになったのである。 |