〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/17 (月) 四 人 尼 (二)
物ずきは、世間に多い。
「音の聞く妓王が、西八条からお暇が出て、いまは家にいるというぞ」
こう浮かれ男仲間に、知れ渡ると、 「いざや、見参けんざん して遊ばん ──」 とばかり、十禅寺町の家には、おび き出しの使者やら、文使ふみづか いが、見えすいた贈り物など持って、毎日、ひきもきらない有様だったが、妓王は、わずらわしいこととしていた。家に深くこも ったきり、人に姿を見せたこともない。
年は暮れて、仁安三年の初春のことである。
西八条から使いが来て、
仏御前ほとけごぜ が、つれづれ に見ゆる。会いもしたいし、遊びに来よ」
と、清盛からなの、伝言であった。
妓王は、腹が立つやら、口惜しさに、
「いやです、お伺いは、かえって、お眼ざわりでしょう。それに風邪かぜ ぎみですから・・・・」
と、二度までの招きを断った。
彼女の母は、あとのとが めもおそ れたし、また、西八条殿が、思い直されたのかも知れないと、さと して、気のすすまない妓王に、 って、化粧をすすめた。
「・・・・でも、一人ではいやです。いまさら西八条に伺うおもて もありません」
「妹の妓女ぎじょ を連れておいで。ねえ、気を取り直しておくれ、後生ごしょう だから」
母にそう泣かれると、妓王はもう何も言えない子であった。
家へ帰ってみると、父の良全は、まるで人間が違っていた。女房泣かせの極道者ごくどうもの に成り果てている。妓王が家に戻ってからは、自暴やけ がつのって、酒乱になるし、外で喧嘩はして来るし、博奕仲間の借財に、首もまわらない有様である。── どこまで悲運な母なのであろう。自分は薄命でも、母は倖せにいるであろうと、西八条にいるうちも、それだけは、ひとり慰められもしていたのに、と妓王はやるせない虚無むなし さにとらわれた。
「・・・・では、おかあ様のためと思って、一度だけは、お伺いします。その代りに、妓女のほかに、妹の友達も二、三人誘ってください」
彼女は心を決めて、招きの日に、西八条へ出向いた。妹の妓女と、友達の白拍子たちと、四人が一つの車に乗って行った。はじ と肩身の狭さに、妓王は、いばら の門を通るような気がした。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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