物ずきは、世間に多い。 「音の聞く妓王が、西八条からお暇が出て、いまは家にいるというぞ」 こう浮かれ男仲間に、知れ渡ると、
「いざや、見参 して遊ばん
──」 とばかり、十禅寺町の家には、誘おび
き出しの使者やら、文使ふみづか
いが、見えすいた贈り物など持って、毎日、ひきもきらない有様だったが、妓王は、わずらわしいこととしていた。家に深く閉と
じ籠こも ったきり、人に姿を見せたこともない。 年は暮れて、仁安三年の初春のことである。 西八条から使いが来て、 「仏御前ほとけごぜ
が、つれづれ気げ に見ゆる。会いもしたいし、遊びに来よ」 と、清盛からなの、伝言であった。 妓王は、腹が立つやら、口惜しさに、 「いやです、お伺いは、かえって、お眼ざわりでしょう。それに風邪かぜ
ぎみですから・・・・」 と、二度までの招きを断った。 彼女の母は、あとの咎とが
めも惧おそ れたし、また、西八条殿が、思い直されたのかも知れないと、諭さと
して、気のすすまない妓王に、強た
って、化粧をすすめた。 「・・・・でも、一人ではいやです。いまさら西八条に伺う面おもて
もありません」 「妹の妓女ぎじょ
を連れておいで。ねえ、気を取り直しておくれ、後生ごしょう
だから」 母にそう泣かれると、妓王はもう何も言えない子であった。 家へ帰ってみると、父の良全は、まるで人間が違っていた。女房泣かせの極道者ごくどうもの
に成り果てている。妓王が家に戻ってからは、自暴やけ
がつのって、酒乱になるし、外で喧嘩はして来るし、博奕仲間の借財に、首もまわらない有様である。── どこまで悲運な母なのであろう。自分は薄命でも、母は倖せにいるであろうと、西八条にいるうちも、それだけは、ひとり慰められもしていたのに、と妓王はやるせない虚無むなし
さにとらわれた。 「・・・・では、おかあ様のためと思って、一度だけは、お伺いします。その代りに、妓女のほかに、妹の友達も二、三人誘ってください」 彼女は心を決めて、招きの日に、西八条へ出向いた。妹の妓女と、友達の白拍子たちと、四人が一つの車に乗って行った。辱はじ
と肩身の狭さに、妓王は、棘いばら
の門を通るような気がした。 |
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