仏は、西八条に、留められた。 そこへ行った日が、嫁いだ日みたいに、ふたたび、もとの町に、帰らなかった。 妓亭には、使者が来た。妓亭の主は、祝宴を開くやら何やら有頂天である。うわさは、ぱっと、ひろまって
「また、相国 のお浮気よ」 と、都の辻々つじつじ
に、そのうわさを聞かない日はない。 けれど、相国しょうこく
清盛の恋は、町の想像のようではなかった。 仏は、妓王の情けを忘れていない。妓王に義理を立てて、なんとしても、清盛の意に従わないのだ。べつに深い欲望とてない十六の乙女である。自分にやさしい人を悲しませ、その人の寵ちょう
を奪うなど 「身にも恥かしく、浅ましゅうて」 と、顔をふるばかりであった。そして幾日も、 「・・・・帰してください」 と、訴え続けた。 「妓王がいるからそう考えるのだ。あれにはもう女の倖せをつくしてやった。ゆく末、どうなと安楽に暮して行けるよう。妓王には、暇いとま
をやれ」 清盛は、侍者じしゃ
の一人に、いいふくめた。 妓王にとっては、それは願ってもないことでありながら、こう言い渡されると、やはり綿々めんめん
と、つきない恨みや悲しさにかき乱されて、ひと夜中、衾ふすま
を被かず いて泣きぬれた。 ほんとの恋は、忠度ただのり
に寄せていたのである。おととし、いそいそと、六波羅への使いに立ったのも、その忠度に、よそながらでも会えることのうれしさからであった。 ── が、運命の悪戯いたずら
は、その夜、清盛の室へ彼女を追い入れてしまい、恋は、胸の奥所おくが
に、生き埋めとなってしまった。以来、その忠度の姿を、一つの舘たち
のうちに見かけることもあったが ── ふと、相見るたびに、恥かしさ、うしろめたさ、口惜しさ、たれにも言えぬ思いであった。 それなのに今、去れと暇を出されれば、妓王はそれにも、身を揉も
むばかりの悲嘆にとらわれた。なぜであろうか。彼女にすら分からない苦しみだった。胸に、胸にうちだけの恋を秘め、そして、女の体というものは、まったく他の男へ託しきってしまった者にだけ生じるふしぎな内面の鬩せめ
ぎであった。心は一つしかないはずのものでありながら、二つの心が自分の中に住んでいたことを思い知る苦悶くもん
の怪しさは、産婦の陣痛のように、女性だけが享う
けて生まれたもののようである。その不公平な生理や心理を、どうしようもなくただ泣きもがいて来たその時代の女性たちは、我とわが身を 「罪深い女の身・・・・」 といい、
「── 女は魔性のもの」 と、考えたりして、宿命にも泣くのであった。 しかし妓王は、夜が明けると、いつものように、きれいに朝化粧をすましていた。 そんなにまで、夜を泣き明かしたとは、たれにもさとられないほどにである。 女童めわらべ
たちに、室内を清めさせ、好きな香こう
を焚た きこめなどした。その様子は、あくまで、理知で、冷静な人に見える。──
明日香あすか と呼ばれていた童女のころから、どこかにそういう風な彼女ではあった。彼女の恋が、第一の恋も第二の恋も山吹の花のように、実を結ばずにしまったのも、そういう知性に片寄っている性格が、知らず知らずに、きょうの運命を、自分で作っていたのかも知れない。 やがて、妓王はそっと、車にかくれて、西八条の門を出て行った。 去るにも、秋草の露をさえこぼさないそよ風のように、いかにももの静かであったので、人びとは、よほど時経ってから、彼女がもういないことを、うつろかな女の部屋に、初めて知ったほどであった。 そしてまた、人びとの眼はふと、そこに障子しょうじ
(からかみ) に、妓王が、形見ぞと書き遺して行ったらしい一首の和歌に、いつまでも、ながめ入っていた。 |