〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/13 (木) ほとけ (五)

おりふし清盛は、つれづれにいやときとみえる。侍者の取次ぎに、ふと好奇に誘われた眼いろを見せた。けれど、相国の権威をかえりみて、大いに怒った。
遊女あそびめ づれが、招きもせぬのに、押しかけがましく、なんの推参ぞ。追い返せ、そんな者は」
すると、そばにいた妓王がなだめた。
「いいえ、遊び者の推参は、常の慣いです。御門を軽んじてのことではありません。いま伺えば、年ばえもまだ幼い者のようですから、素気すげ のうお返し遊ばされては、どんなに恥かしく、打ちしお れることでございましょう。妓王の身にも覚えがあります。不愍ふびん と思し召して、せめて、おゆか さきまでと、通しあげてくださいませ」
「うむ、和御前わごぜ が、それほどに言うならば。・・・・ひとつ、見てやるか」
ほとけ は、いちど追われて、すごすごと、門前から返しかけていたが、呼び戻された。そして、まばゆい深殿しんでん に引かれ、清盛らしい人や、近習たちの並みいる一間を、遠くのように見て、かしこ まった。
近習の一名が、彼女へ言った。
「仏とやら、そなたは、倖せ者ぞよ。かく、太政殿だじょうどの御見ぎょけん に入るなど、あり得ないことだが、ここに せられる妓王どのが、不愍ふびん よ、召させ給えと、しきりに、相国しょうこく へおすがり遊ばしたので、さらばと、破格なお許しが出たのであった。── なんぞ、今様いまよう なりと歌うて、御興ごきょう におこたえ申すがよい」
「はい。・・・・」 と、仏は一礼した。
そして顔を上げると、妓王の方へ、ひとみ をこめて、彼女の情けを、心から感謝した。
妓王もじっと見まもっていた。── 十六、その年ごろの自分が思い出されていあたに違いない。

君を初めて見るをり
千代も経ぬべし姫小松
お前の池なる亀岡に
鶴こそ群れゐて遊ぶめれ
仏は、三べん歌い返した。
歌詞も、くち もとも、あどけないものであったが、天性の美音であった。池泉ちせん のせせらぎも止むかと思われるほど、しいんと、澄み通って聞こえた。そしていつまでも、人々の耳に、余韻のこころよさを残した。
「さても、わごぜは、今様いまよう上手じょうず よ。舞は一しおであろうず。たれぞ、鼓を打て、仏の舞を一番見ようよ」
清盛はにわかに興じ出した。
仏は、 「うけたま って候う ──」 と立って、あで やかに、舞いすました。
舞こそ、彼女が得意であり天稟てんぴん のものである。舞っているうちの彼女は、十六の乙女とも見えなかった。どんな後宮の美姫よりも気高けだか くて、しかも美しさに威厳があった。芸術の迫力というか、気品というか、近づき難い魅力が辺りを払うのであった。
清盛は神妙に見入っていた。恍惚こうこつ という顔つきである ── が、見ているうちに、彼は、その近づき難いもの ── 威厳のある美に ── 何か、むらむらと、むしり散らしたいような、およそ美や威厳にとっては、異端なうず きに かれていた。
「いや、おもしろい。思いのほか、興があったぞ。仏とやらに、杯をやろう。それよ、庭面も秋めいて来た。杯を持ちながら、仏の舞を、もう一さし見ようよ。泉殿へ、席を移せ」
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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