〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/12 (水) ほとけ (四)

ここに、また一人、君立ち川にけんきそ う百花のうちに、仏御前ほとけごぜ という可憐かれん な白拍子が、別な妓亭から現れた。
加賀ノ国鶴来つるぎ の里の生まれで、年はまだ十六。早くから都の水にみがかれ、諸芸才能も、人なみすぐれて、宮中の校書こうしょ (官妓) にも、おさおさ けはとるまいと言われている
「いや、おととしの秋、六波羅殿へ囲われた、あの妓王と較べても、仏御前ならよも見劣るものではない」
と、言う客も多かった。
かねがね、妓王を出した刀自の家に対して、そね みを抱いていたその妓亭の主も、だんだんに高まる仏御前の評判には、大自慢であった。だがなんとしても、妓王とは格違いに見られる け目だけはどうしようもない。
そこであるおり、ほとけ へ言った。
「おまえの舞は、この町はおろか、京中一番の上手じょうず なのだよ。けれど客の浮かれ男だけにしか知られていないから、世に聞こえもしないが、もし西八条殿 (清盛の新邸) 御感ぎょかん にでもはいったら、それこそもう大したものだ。さきには、妓王でさえお目通りを得たのだから、おまえだって許されないはずはない。妓王に負けないほど、美しくよそお って、西八条へお伺いしてごらん」
仏御前は事もなげに、
「はい」
かしこ まって、その気になった。
彼女には何の欲望もない、ないゆえに、素直にうなずけもしたのであろう。ただ、乙女おとめ なりの、舞の誇りがあるだけだった。
その日、今日を れと粧われた仏は、花やかな女車を、西八条の門に めた。
ころも、おととし、妓王が、六波羅を訪うたのと同じ初秋のころであった。
清盛は、今年の二月ごろ、太政大臣に任ぜられるとともに、六波羅のきょ を、西八条へ移していた。
池ノ尼殿の住居、御台盤所の園、また一門の居館やら、武者屋敷の大路小路など、いつのまにか、ここの宏大こうだい な地区は、平家好みの大聚楽だいじゅらく となっていた。── 古い平安都市と見くらべると、諸門の姿も、屋造りも、庭園の模様も、人びとの風俗も、すべてが古いものと、新しいものとの対照であった。はっきりと、時勢につれた文化の移り方が、ここへ来ると、目にも分かるほどだった。
「これこれ、その車待て。どこへ通るぞ。そしてどこの者ぞ」
門の武者のとがめられると、仏は、車のうえから、悪びれもせずに言った。
「わたくしは、仏と申す白拍子です。── 白拍子と生まれては、世のもてあそびものになるのは是非ない身の上ですが、ただ、今を栄えさせ給う西八条の大臣おとど に召されていないのは、なんとも本意ほい のう存じます。遊び者のなら い、われから推参いたしたとて、何か苦しかるべきと、人の申すまに、こうはお伺いしてみた者です。・・・・どうぞ、相国しょうこく のおん前に。お取次ぎ給わりませ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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