〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/10 (月) ほとけ (二)

何しろ、花うるしに金銀の金具を打った美々しい女車が、武者や雑色やわらんべ などに守られて、めったに上臈車じょうろうぐるま などが、入って来ないつじ を曲がって、良全の家の前に着いたのである。
「あれ、あれ。妓王どのの宿やど 帰りに違いない」
「そも、どれほど御容貌ごきりょう よしぞ」
「どんなよそお いを らしてやら?」
と、そこらは黒山のような人だかりになってしまった。十禅寺町始まって以来の気色である。
奥へ入った妓王は、親たちと会って、どんな思いを語っていることか、外の人だかりは、うかがえもしない。
けれど、町の人びとは、根気よく、遠巻きを作って、空の牛車をながめていた。
妓王は、わずか一とき ほどしか、いなかった。やがて、親の良全や母に、門まで送られて出て来た。そして彼女が車に乗ろうとすると、不遠慮な老幼男女は、近々と、なだれ寄って、妓王の姿や顔を、好奇な眼で見まもった。
妓王は五衣いつつぎぬそで で、面をおおいながら、罪人つみびと のように、御簾みす の蔭へ身をかくしたが ── 白い横顔を、ふと見た者たちは、彼女が余りにもさび しげな ── 泣きもしたいようなまゆ をおののかせているのを見て、
「こんな出世に会いながら、なんと浮かない容顔かんばせ であろう?」
と、怪しみもしたり、また、車が去った後では、したり顔に、言う者もあった。
「いやいや。むかしいた牛飼町の貧乏小屋と見くらべて、夢のようなと、親子ともども、うれし泣きをしたものであろうよ。・・・・妓王どののまぶたあか れていたのは、たしかに泣いた証拠に違いない」
富貴の門にも、大小がある。そして富貴が作用する結果は、上流でも下層でも変わりがない。
良全の家には、自然、雑多な人びとが出入りし始めた。そして良全夫婦を、何様なにさま かのように、おだてあげた。高価な家具や衣裳いしょう で、どの部屋も埋まって来た。
「あの家には、六波羅殿から、月々、百石百貫の仕送りがある」
これがこの家に寄りたがる人びとの目標だった。
そのうちの一人に、女衒げせん朽縄くちなわ もいた。
「どうだい、良全どの、今となっちゃあ、この朽縄は、福の神みたいなものだろうが」
朽縄が来ると、良全と二人でよく酒になった。
良全も、今では体もなおって、人違いされるほど、肥ってきた。いや美衣美食にもそろそろ飽き加減な環境になっている。朽縄くちなわ を相手に、お追従ついしょう など言われているのが、悪くないような容子である。
「何しろおれも、うれしくて堪らねえのさ。いまに、妓王御前が、清盛卿のおたね でも宿してみろ、この家だって、六波羅の御一門だ。ただ町中に放ってもおけまいぜ。たとえ無官ノ太夫でも、車司くつまつかさ でも、なんとか官職におつけくださるに違いない」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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