〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/09 (日) ほとけ (一)

その後、妓王ぎおう のことは隠れもない評判になった。── 招かれもしないのに、われから六波羅のてい へ出かけて行き、清盛を手玉にとって、ついに薔薇園しょうびえん金殿きんでん に住む身になった ── という風にひろ まって来たのである。白拍子町しらびょうしまち に聞くだけではない。京雀きょうすずめ の口に派手派手といいさわ がれた。
「どれほどな美妓かは知らぬが、よくも六波羅殿の門へなど、ひる みもなく伺えたものではある」
「当世風の白拍子らしいところよ、とかく臆面おくめん を知らぬのが、今時の若い女子おなご だ」
「何せい、えらい幸運をつかんだものさ。どう言われようと、もう清盛卿の側室だからの」
「いずれ、親兄弟の縁類まで、栄花の余恵にあずかった、にわ分限ぶんげん が、何軒もできることであろう。子を生むなら、女の子にかぎる」
「いや、それも、妓王のような娘でなければ」
言葉はまちまちでも、凡下ぼんげ 心理には、共通しているものがあった。なおのこと、同性の中では、いろいろな取沙汰とりざたかしま しかった。
京中の白拍子どもは、
(── あなめでたの妓王ぎおう 御前ごぜさいわ いや)
と、うらや むもありそね むもあり、羨む者たちは、
(これはきっと、妓という文字名が、縁起えんぎ い字なのかも知れない。同じ遊女あそびめ となったものなら、自分たちも一度はあんな果報に会いたいものを)
と、いいはやして、それからというもの、都の花街には、妓一だの妓福だの、妓徳、妓扇などという名が、やたら流行はや り出したほどである。
そういう人目をよそに、妓王の親の良全は、前から住んでいた十禅寺町で、宅地を買い拡げ、新しい普請ふしん を起こしていた。
── 普請の世話には朱鼻の伴卜が来たこともあり、屋移やうつ りには、五条の店の者やら、君立ち川の妓亭の者が手伝いに来て、そのあとの酒振る舞いに、鳴物が聞こえ、近所隣へ、もちさかな を配るなど、何しろ稀有けう なことであった。
その時も、近所合壁がっぺき 、ひと通りでないうわさだったが、やがて一年余りもたってから、この新居へ、妓王が、親の良全夫婦に久しぶりに会いに来た日は、もっと、たいへんな騒ぎであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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