〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/06 (木)   おう (一)

「世は藤原」 という時は藤原氏の門へ。 「世は平家の時勢」 と言い出されれば平氏の門へ。── 世俗の びや実利主義の方向には、臆面おくめん がない。
平家万能の風は、世相化して来た。
何か縁を平家の門の端にでも結ばなければ、人として生業なりわい も立ち行かないような錯覚さっかく を人びとは持った。そうした観念が常識にまでなっていた。民力の自覚を持たない時代の民である。南が吹けば南風になびき、北が吹けば北風に し、とかく、季節には従順に、あの野草や雑木の根強さを、そのまま、生きの姿と守っているしか、生き方はなかった。
人の心が、こんな世風に、染められて来た時である。
ここにそのころ、ひとつの “巷話ちまたばなし ” が、語り伝えられた。
時は少し前の事になるが。
おととし、二条天皇の御大葬が執り行われた日。── 船岡山ふなおかやま の道の まで、拝観に行きながら、連れの女主おんなあるじ が、暑さにたおれてしまったため、夜の轜車きぐるま もお見送りせずに、むなしく家路へ戻った白拍子町しらびょうしまち の一家族がある。
君立きみた ち川のほとりで、この界隈かいわい に多い妓亭のうちの一軒の者たちだった。
刀自とじ という女王は、数日の後は、もう、けろりとしていた。あの日の病人顔もしていない。子飼いのおんな たちを相手に、冷やしうり など食べ散らしながら、世間の昼寝時をよそに、よくしゃべりあっていた。
「ほんとに、あの時の公達きんだち 武者は、親切なお人だったよ。──野寺のでら の山門から、追い払われるところだったのに」
「わたしたちも、途方に暮れてしまいましたわ、おかあさんは、うんうん苦しんでいらっしゃるし、雨は降るし、そこへ平家のお役人が、いてはならんと、追い立てに来たんですもの」
「もし、あの若い武者が、優しくいってくださらなかったら、どうなったか知れないね」
「きっと、みんなで、おかあさんを背負って、泣きなき帰って来たでしょう」
「ほんとに、今ごろこうして、起きてなどいられなかったに違いない。・・・・それを、牛車を貸してくださった上、堀川まで、牛飼に送らせてくだすったのだからね・・・・どうしてもいちど、お礼に伺わなくてはすまないが」
刀自とじ はまた言い出した。刀自はこの間のうちから、その 「お礼」 ばかり気にしている。
しかし、あの時の親切な武者は、六波羅殿の御内みうち で、清盛卿の末弟、平ノ忠度ただのり と聞いては、ほかの館とちがい、
(はて、どうしたら?・・・・)
と、むなしくかこ ってみるだけであった。
だが、刀自としては、この機会に、じつは六波羅の公達に、知遇を得たいとする気持が多分にあったに違いない。秋のすず風が立ちそめると、ある日、心を込めた土産物を調ととの え、幾人もいる家の白拍子のうちで、わけても刀自が子飼いから諸芸を仕込んで珠のように大事にして来た妓王ぎおう を選んで、
「六波羅のお使いには、そなたがよい。忠度様にお目にかかって、よく、先ごろのお礼を申し上げて来るのですよ」
と、いいつけた。
妓王は、なぜか、顔をあか らめた。そして素直に 「はい」 とは答えた。けれど六波羅のてい と聞くだけでも、人も恐がる所である。少し心配そうな顔にも見えた。
「何も、心配はないよ」 と、刀自は力づけた。 「じつは、五条の伴卜ばんぼく さまに、御相談してみたら、わしが六波羅総門の内にいてやろう。そして、忠度様の曹司そうし (部屋) へ案内してやるというお約束になっているのだからね・・・・そなたはただ、車で行きさえすればいいのだよ」
「わかりました、言って参ります」
「いえいえ、そんな身装みなり で行くのではありません。先は六波羅のおやかた じゃないか。一世一代のつもりで、思いきりよそお ってお出で。・・・・さ、わたしも手伝ってあげるから」
刀自は、妓王の口紅べに 白粉おしろい に心をくばり、まゆずみ の描きようも、彼女の面にあわせて、自分の気に入るまで直してやった。
水色の水干すいかん を着、金揉きんもみ の立て烏帽子えぼし をかぶり、白鞘巻しらさやまき の銀作りの太刀を腰に、妓王は、車の内へ、さやさやと乗った。
供には、小若こわか という下僕しもべ が、牛の横に添った。
その小若さえ、六波羅衆にみぐる しくあってはならぬと、新しい直垂ひたたれ を着せられていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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