〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/05 (水) はなじゅ らく (四)

「なんとか、計らいましょう」
彼のさりげない言い方は、側近たちに、大言に聞こえた。
「叡山たるものが、おめおめ、座主ざす を引き渡すだろうか」
たれも、危うんでいたが、清盛は、数日のうちに、叡山との談合をつけてしまった。
たちまち、興福寺大衆は、奈良へ引きあげて行くし、洛中の諸民は、台風がそれたように、眉をひらいた。
「どうして、叡山を承服させたろうか」
聞き知る公卿として、いぶからない者はない。しかし事実は、叡山の以後の恭順ぶりで、疑う余地はなかった。
西光法師たちの側近者が、探りぬいて、ようやく、知りえた事は、こうであった。
意外にも、叡山には、清盛の知己がいた。
由来、犬と猿のような仲に見られていた両者の間に、そんな友誼ゆうぎ を交わされていようとは、到底、想像もされないことであった。
けれど、たしかに、山門でも有数な大法師が、清盛に心を寄せ、ことあるごとに、相互の便を計りあっていたという確証も聞き込んだ。── その大法師とは、もと横川にいた実相坊、止観院の如空坊、西塔の乗円坊の三名だという。
そう、名まで分かったが、なお、健忘症けんぼうしょう な世人には、その何者なのかも、そして、どうして清盛と結ばれたのかも、思い出せない。
もっとも、だいぶ年月も経っていた。清盛がまだ三十歳のころである。
それは、久安三年の夏、義弟おとと の時忠が引き起こした祗園ぎおん の喧嘩に端を発して、大衆三千が、洛中へ押し寄せて来たときだ。清盛は、彼らの日吉ひえ 山王さんのう神輿しんよ に、一 をくれて、三千の山法師を驚倒させ、世上からは、狂気したかと、余りな豪胆ごうたん さを、疑われたことがある。
彼のただ一矢のために、叡山は、醜態をさらして、山へ引き揚げた。
以来、清盛は叡山にとっては、忘れ難い怨敵おんてき であるはずなのに、かえって、彼をもく して、
(どえらい骨太ほねぶと だ。清盛とは、おもしろいやつよ、珍重すべき男ではある)
と、年を経てから、よしみ を通じて来た者が、その時の乱闘相手、実相坊、如空坊、乗円坊の三人だった。
── それから、いつか、十八年は過ぎている。
清盛にとっても、あの年ごろのことごとは、かえりみて、感慨にたえないであろう。
「おれも、乱暴だった」 と思い、もう今では、日吉山王の神輿に矢を射るような向こう見ずは、やれといわれても、二度とは、やれない自己を見出しているにちがいない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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