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それも、以前ならばである。 何にしても、今、平家とは、気まずいものがある。 さきに、変なうわさが飛んだとき、上皇の御英断から、御自身、六波羅へ御幸あって、清盛の疑惑を解かれたようなものの、なお、清盛が、どう思っているか。あれで、釈然と、旧情にかえっているか、大いに、疑わしい。 ここの側近たちが、今も、そう気に病むのは、気に病む理由があるからであろう。彼ら自身に、覚えがあるに違いなかった。 だから、興福寺大衆が、大挙、出動してきた場合、武門を向けて、鎮圧するには、どうどても、清盛を除外しては、案が立たない。──
つづまるところ、清盛をどう操
るかが、まだ、上皇の深い御思案のうちにあるものと察しられる。 「西光・・・・」 と、こんどは、西光法師へ、お顔を向けられて 「ちまたの間では、なんと申しておるの。先ごろのことを」 と、お訊き
きになった。 ちょっと、のみ込みかねた顔つきで、西光は、拝伏しただけで、伺い直した。 「仰せの儀は、なんの、おたずねでございましょうか」 「わからぬか」 と、このとき、上皇には、満座へあらたまって公言を遊ばすように、特に、はっきりしたお声で言われた。 「──清水寺炎上の夜、だれが言い出せしか、朕が、叡山に平家討伐の密命を降くだ
したなどという取沙汰とりざた
が、ちまたに撒ま かれたというではないか」 「はい」 「さようなこと、つゆほども思い寄らぬものをよ。・・・・西光、あのふしぎは、どう思うぞ」 人びとは、はっと、口のうちを渇かわ
かせた。 これは上皇のお言葉とも思えない。いつもの仰せとは、まるで違っている。君子くんし
は豹変ひょうへん するという。その御態度か。それとも、何かわれを、お試しになるのではあるまいか。 西光が、それにどうお答えするであろうかも、人びとは、かたずを飲む思いで、見まもった。西光の唇くち
もとへ、眸をそそぎあっていた。 西光法師は、すこしも、たじろぐことなく、こう申し上げた。 「されば、天に口なし、人をもって言わしむ、とか。ちまたの眼にも、近ごろ、平家の驕慢きょうまん
や、清盛のなすことが、もってのほか、僭上せんじょう
なりと、見かねて来たものではありますまいか。つゆ、御心には思し召しよらぬまでも、天が人をして言わせたものでございましょう」 すると。上皇は、あきらかに、
「うむ」 とおうなずきあったから、急に御手を振って、大きくお笑いになった。── 横をお向きになったまま、 「そのこと、よしなし、としなし」 と、うち消された。 側近たちも、一時に、騒ざわ
めき笑いながら、催馬楽さいばら
の歌拍子うたびょうし に似せて、いい消した。 「壁に耳あり。おそろし、おそろし。・・・・よしなき戯ざ
れ歌かな、よしなし草に棹さお
さす川の刈藻舟かるもぶね は」 |