院の夜
の御殿おとど は、宵ごとに、活気のある燭しょく
の気配けはい であった。 お気に入りの権大納言成親もいた。式部大輔章綱あきつな
やら、西光の子、加賀師高も、侍はべ
っている。そのほか、資行すけゆき
、成経、信房などの側近たちが、上皇後白河の御座ぎょざ
を繞めぐ って、こよいも、夜の御膳ごぜん
をいただいていた。 近ごろ、賜餐しざん
が、じつに多い。 上皇御自身、こうして、政務のあとのおくつろぎが、お好きなのである。 それに今夕は、今しがた東山から返って来た西光法師が、炎上のあとを視察して来て、上皇には耳めずらしい話をいろいろ聴え上げていた。 「ほう、凡下の男女たちが、清水寺の焼け跡に群れて、何もない灰を拝おが
んでおったとか。おかしくも哀れよ。はやく、興福寺の怒りをなだめて、再建さいこん
を計ってやれねばなるまい。・・・・のう、俊経」 「はい」 右中弁俊経は、お眸ひとみ
をうけて、思わずうつ向いた。 数日前。 俊経は、詔を奉じて、南都の興福寺へ赴いた。そして、上皇のお諭さと
しを、親しく、僧徒の主脳へ、伝えたのである。 だが、僧徒の代表たちは、 (詔といえ、このままでは、すみません。── 延暦寺の座主ざす
俊円しゅんえん を流罪にするならば、御諭詔を拝しましょうが) と、頑がん
として、きき入れない。 俊経は、むなしく、帰った。ありのままを、院に復命するしかなかった。が、上皇には、 「そうか」 と、聞きおかれたまま、一切、あとの御腹中を、側近たちへ、おもらしもなかった。 だから俊経は、どうお答えしてよいか、戸惑ったものらしい。──
清水寺の再建どころか、南都の大衆は、物々ものもの
しい戦備をかため、入洛の日を計っているのを、眼で見て来たばかりなのだ。 それも、上皇には、ご存知のはずである。一朝ちょう
、彼らが、例の手段を用いて、春日かすが
神木しんぼく と神輿しんよ
を先頭に、強訴ごうそ をとなえて入洛すれば、たちまち、洛中は人影もみな払ってしまう。 こんどは、彼らが、叡山の末寺を、片っぱしから、焼きたてる番だ。 叡山も、黙って、見てはいまい。 そのばあい、興福寺大衆との間に、どんな修羅しゅら
が起こるか。また興福寺方が院のお庭へ、榊さかき
や神輿みこし をふりこんで、院宣を強請することも予測される。それは、ていのよい、上皇への脅迫、院の占領になる。 (・・・・どう、処理遊ばすお旨やら?) これはひとり俊経だけでなく、側近のすべてが、同時に、上皇の御意中を、思い惑ったことであった。 |