〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/04 (火) はなじゅ らく (一)

院のよる御殿おとど は、宵ごとに、活気のあるしょく気配けはい であった。
お気に入りの権大納言成親もいた。式部大輔章綱あきつな やら、西光の子、加賀師高も、はべ っている。そのほか、資行すけゆき 、成経、信房などの側近たちが、上皇後白河の御座ぎょざめぐ って、こよいも、夜の御膳ごぜん をいただいていた。
近ごろ、賜餐しざん が、じつに多い。
上皇御自身、こうして、政務のあとのおくつろぎが、お好きなのである。
それに今夕は、今しがた東山から返って来た西光法師が、炎上のあとを視察して来て、上皇には耳めずらしい話をいろいろ聴え上げていた。
「ほう、凡下の男女たちが、清水寺の焼け跡に群れて、何もない灰をおが んでおったとか。おかしくも哀れよ。はやく、興福寺の怒りをなだめて、再建さいこん を計ってやれねばなるまい。・・・・のう、俊経」
「はい」
右中弁俊経は、おひとみ をうけて、思わずうつ向いた。
数日前。
俊経は、詔を奉じて、南都の興福寺へ赴いた。そして、上皇のおさと しを、親しく、僧徒の主脳へ、伝えたのである。
だが、僧徒の代表たちは、
(詔といえ、このままでは、すみません。── 延暦寺の座主ざす 俊円しゅんえん を流罪にするならば、御諭詔を拝しましょうが)
と、がん として、きき入れない。
俊経は、むなしく、帰った。ありのままを、院に復命するしかなかった。が、上皇には、 「そうか」 と、聞きおかれたまま、一切、あとの御腹中を、側近たちへ、おもらしもなかった。
だから俊経は、どうお答えしてよいか、戸惑ったものらしい。── 清水寺の再建どころか、南都の大衆は、物々ものもの しい戦備をかため、入洛の日を計っているのを、眼で見て来たばかりなのだ。
それも、上皇には、ご存知のはずである。一ちょう 、彼らが、例の手段を用いて、春日かすが 神木しんぼく神輿しんよ を先頭に、強訴ごうそ をとなえて入洛すれば、たちまち、洛中は人影もみな払ってしまう。
こんどは、彼らが、叡山の末寺を、片っぱしから、焼きたてる番だ。
叡山も、黙って、見てはいまい。
そのばあい、興福寺大衆との間に、どんな修羅しゅら が起こるか。また興福寺方が院のお庭へ、さかき神輿みこし をふりこんで、院宣を強請することも予測される。それは、ていのよい、上皇への脅迫、院の占領になる。
(・・・・どう、処理遊ばすお旨やら?)
これはひとり俊経だけでなく、側近のすべてが、同時に、上皇の御意中を、思い惑ったことであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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