「おられますとも。そこはさすがに、あの大嶽
です。荒天こうてん のたびに、山から押し流れてくる濁流を見て、それが、叡山だとお思いでしょうが。・・・・大嶽の谷あいや、密林の奥には、まだ真実の泉は涸か
れてはおりません。保元、平治の兵火に、あんなにちまたは乱脈になったようでも、なた方の間には、なお、お互いを温めあう愛情やら、真実を求める心が生き残っていたではありませんか。わたくしたち沙門しゃもん
が、あえなく、釈尊しゃくそん
以来の法燈を絶やしてしまってよいものでしょうか」 「そう伺って、何やら、わたくしどもも力づけられます。・・・・けれど、そういうお方もいるなら、」なぜ山を降りて、わけの分からぬ今の世間の辻つじ
に立ち、こうだと、生きる道しるべをしてはくださらないのでしょうか」 「でも。・・・・」 と、学僧は、太やかな眉まゆ
のあたりに、何か、憂悶ゆうもん
の色をにじませながら ── 「でも、この焼け跡にまで来て、ぬがずいているあなた方のこと、日ごろにも、諸僧の説教は聞いておられるでしょうに」 「それがみな、嘘うそ
の皮みたいに、信じられなくなっております。この焼け跡を見たら、それだって、そうでしょう。もう、坊主の言うことなど、くそでも食らえ。坊主こそ、口上手だけに、泥棒よりも腹の悪い人だまし商売よと、みな嘆くか、ののしる者ばかりなんで」 「じゃあ、あなた方は、いよいよ話し相手も、信じる道も、なくなってしまうではありませんか」 「ですから、灰の中に、ぼんやりすわっておりました。ただ灰を拝んで」 「おお、その・・・・あなた方の前にこそ、観世音菩薩かんぜおんぼさつ
はお降くだ りになっています。疑うには及びません」 「よしておくんなさい。そんな気休めは。──
ま、あの立札たてふだ を見ましたか。片方が、観音力など、あるものかと、唾つば
すると、一方では、何千万年の永劫を見ないで分かるかと、嘲わら
っています。── とんでもないことでさ。わたくしたちは、生きているうちの間に合わぬ御利益ごりやく
など、欲しくもありませんからね。それを、歴劫りやつこう
何千万年だの、観音力など怪しいものだと、突っ放されては、灰を見つめて、考え込んでしまうしかありますまい」 「ごもっともです。ほんとに、みなの言う通りだ。・・・・けれど、昨日までの伽藍がらん
の御厨子みずし に、よしや観世音がお在わ
せられなくても、今日のあなた方の前には、疑いもなく観世音が立たれています。灰とは見えましても」 「どこに見えます、どこに」 「灰のうちに、灰のうえに」 「灰は灰でしょう」 「灰です」 「・・・・見えもしません」 「見えるものは御仏ではありませんから」 「見えぬ御仏を、見せてください。・・・・いや、御房のような、お若い学生がくしょう
さんにいっても無理でしょうが、そういうお坊さまは、どこかに、いないものでしょうか。お互いの生きているうちに、間に合うような利益りやく
を見せてくださるような、ほんとのお坊さまは」 「おりますよ。いないわけはありません」 「どこに。どこに」 |