〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/06/04 (火) いち がく しょう (二)

「おられますとも。そこはさすがに、あの大嶽だいがく です。荒天こうてん のたびに、山から押し流れてくる濁流を見て、それが、叡山だとお思いでしょうが。・・・・大嶽の谷あいや、密林の奥には、まだ真実の泉は れてはおりません。保元、平治の兵火に、あんなにちまたは乱脈になったようでも、なた方の間には、なお、お互いを温めあう愛情やら、真実を求める心が生き残っていたではありませんか。わたくしたち沙門しゃもん が、あえなく、釈尊しゃくそん 以来の法燈を絶やしてしまってよいものでしょうか」
「そう伺って、何やら、わたくしどもも力づけられます。・・・・けれど、そういうお方もいるなら、」なぜ山を降りて、わけの分からぬ今の世間のつじ に立ち、こうだと、生きる道しるべをしてはくださらないのでしょうか」
「でも。・・・・」 と、学僧は、太やかなまゆ のあたりに、何か、憂悶ゆうもん の色をにじませながら ── 「でも、この焼け跡にまで来て、ぬがずいているあなた方のこと、日ごろにも、諸僧の説教は聞いておられるでしょうに」
「それがみな、うそ の皮みたいに、信じられなくなっております。この焼け跡を見たら、それだって、そうでしょう。もう、坊主の言うことなど、くそでも食らえ。坊主こそ、口上手だけに、泥棒よりも腹の悪い人だまし商売よと、みな嘆くか、ののしる者ばかりなんで」
「じゃあ、あなた方は、いよいよ話し相手も、信じる道も、なくなってしまうではありませんか」
「ですから、灰の中に、ぼんやりすわっておりました。ただ灰を拝んで」
「おお、その・・・・あなた方の前にこそ、観世音菩薩かんぜおんぼさつ はおくだ りになっています。疑うには及びません」
「よしておくんなさい。そんな気休めは。── ま、あの立札たてふだ を見ましたか。片方が、観音力など、あるものかと、つば すると、一方では、何千万年の永劫を見ないで分かるかと、わら っています。── とんでもないことでさ。わたくしたちは、生きているうちの間に合わぬ御利益ごりやく など、欲しくもありませんからね。それを、歴劫りやつこう 何千万年だの、観音力など怪しいものだと、突っ放されては、灰を見つめて、考え込んでしまうしかありますまい」
「ごもっともです。ほんとに、みなの言う通りだ。・・・・けれど、昨日までの伽藍がらん御厨子みずし に、よしや観世音がお せられなくても、今日のあなた方の前には、疑いもなく観世音が立たれています。灰とは見えましても」
「どこに見えます、どこに」
「灰のうちに、灰のうえに」
「灰は灰でしょう」
「灰です」
「・・・・見えもしません」
「見えるものは御仏ではありませんから」
「見えぬ御仏を、見せてください。・・・・いや、御房のような、お若い学生がくしょう さんにいっても無理でしょうが、そういうお坊さまは、どこかに、いないものでしょうか。お互いの生きているうちに、間に合うような利益りやく を見せてくださるような、ほんとのお坊さまは」
「おりますよ。いないわけはありません」
「どこに。どこに」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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