失火でもなく、戦火というわけでもない。単なる喧嘩
の仕返しだ。僧団同士の面子メンツ
争いからである。── 清水寺の堂塔僧房一切は、その一方の腹イセのため、きれいに一夜で焼け野原となっていた。 腰が抜けたように、灰の中に座り込んで、ただの灰を、伏し拝んでいる善男善女の姿が、焼け跡には、あちこちにながめられた。 「ああ、勿体もったい
ない・・・・」 と、涙を流して惜しんでいる者も、 「── 世は末法か」 と、嘆きの余り怒っている者も、日ごろ、仏陀ぶつだ
の御弟子を口ぐせにいう僧侶そうりょ
ではなく、庶民の中の、そうした人びとだけであった。 この暴状にも、大きな犠牲にも、僧侶自体の反省は、どこにも見えない。 かえって、叡山と南都大衆との間に、全面的な戦いが予測され、そら怖おそ
ろしい風聞となって、人びとの心を、いやが上にも脅おびや
かすだけだった。 すると、ある日、焼け跡の大門だいもん
のそばに、次のように書いた立札たてふだ
を打った者がある。 観音クワンオン
火坑クワキヤウ 変成ヘンジヤウ
池チ ハ如何イカ
ニ 言うまでもなく、このいたずらは、叡山側の法師の仕業しわざ
に違いない。 その意味は、 (どうだ、このざまは。── もし人が、火の坑あな
に陥ちようとしたとき、観音の御名をとなえれば、火の坑も変じて池になるなどと、普門品ふもんぽん
には、観音力の絶大を説いているが、観音自体、炎にあえば、この通り灰になってしまったではないか) と、火放ひつ
けをしたあげく、揶揄からか ったものである。 すると、次の日、同じ大門のそばに、清水寺の一僧でもあろうか。墨くろぐろと書いて、こう、返し札を立てた。 歴劫リヤクゴフ
、不思議、力及バズ (── おい、冗談を言うな、この世は、歴劫、幾千万年もつづいてゆく。一年もその一齣こま
、十年もその一齣にすぎぬ。今日や昨日の、目前の一現象がなんだ。観音力の不思議を疑うなら、もっと大きな眼を開いてものを言え。それは、われら凡夫でも、推お
し測はか れないことだから仕方がない) 相手の嘲笑ちょうしょう
に対し、また嘲笑をもって、酬むく
いているのである。 さすがは、荒法師の問答らしい。人間性の骨格がまるでちがう。信仰をさえ、遊戯化している風なのである。七宝の荘厳しょうごん
をつくした仏閣や堂塔も、彼らの眼には、惜しまれもしていない。 だが。 僧侶の中にも、ほんとの僧侶が絶無なわけではなかった。 ── 今も、この焼け跡にぬかずいているたくさんな凡下ぼんげ
の男女とともに、ややしばらく念仏していた僧侶があった。三十に、三かと、思われる年ごろといい、粗末な法衣を見ても、まだ学生がくしょう
の身分なのであろう。いかにも、自責に耐えないとするような心の内のものが、その面にも、物腰にも、謙虚な一つの姿となって、あたりに人びとの道づれみたいに溶け合っていた。 やがて、その学僧が、笠かさ
を手に、立ちかけると、急にあたりの男女が、人なつかしげに、話しかけた。 「お坊さまは、この清水の御房こぼう
の内ではないのですか」 「ええ、わたくしは、叡山におる者です」 「叡山? ・・・・」 と急に人びとは眼をそばだてて 「── ここを焼いたのは、叡山の法師でしょうに。・・・・もし相手に見つかったら、袋だたきにされはしませんか。・・・・叡山はどちらなので」 「西塔の黒谷におります。わたくしも、山門に籍を置いている一名に違いありませんが、山門の全部が、荒法師でもありませぬ。──
わたくしの師としているお方でも、そのほかにも、ひたすら求法ぐほう
に心をひそめているお人もおられます。何か、一つに信じられる心の明りを、お互い人間同士の中に持たなければと、真剣に、仏陀の悩みを悩む仏弟子も、いあにではありませぬ」 「ほんとに・・・・今の叡山にも、そんなお人がいるでしょうか」 人びとは疑わしげに、しかし興味をもって、その学僧を、なお大勢して、取りかこんできた。
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