「教盛。──
いつぞや、船岡山の御葬儀のみぎり、延暦寺と興福寺とのあいだで、喧嘩
があったそうだが、そのさい、わぬしは、衛門の主将として、どういう処置をとったのか。うわさは、聞いていないでもないが、仔細しさい
に、話してくれい」 こう訊たず
ねた後、清盛は、弟の教盛の返辞を、静かな面持ちで、眼を、半眼にとじながら、聞いていた。 教盛は、率直に告げた。 「さしたる仔細もございません。ちょうど、熊野の忠度ただのり
が居合わせましたので、忠度に、南都の法師輩をとり鎮めよと申しつけ、わたくしは、叡山の大衆を鎮めに向かいました。それだけです」 「その前に、院の執事、新大納言と、西光法師とが、わぬしへ何か、旨をさずけたというようなことはないのか」 「それがうわさになっておるらしゅうございますが、なん条、かれらの指図に踊りましょうや」 「ではやはり、そんなこともあったのだな」 「されば、その二人が、物蔭で申すには、争いの非は、叡山にある。また叡山はつねに、平家を敵視し、院へ、平家の悪を訴えに及んでいる件も、二、三ではない。よい機会だ。叡山延暦寺の坊主どもを、いやというほど、懲こ
らしておやりなさい。たとえ、死人や怪我人を山と出そうが、上皇へのお聞こえは、自分たちが、よいように計ろうておく。── 今を逸して、山門の悪僧どもを打ちくじくときはありませんぞ
── と、こうケシかけるが如く申されたのでございます」 「そして、わぬしは、どうしたのか」 「畏かしこ
まって候うと、その場は、聞き流して、立ち去りました。しかし、その通りにはいたしません。忠度は、興福寺勢を、手きびしく、打ち懲らしたらしゅうございますが、自分は、山門側の法師の前に、立ち塞ふさ
がって、事をすませたに過ぎませぬ」 「では、山門の大衆が六波羅を恨むすじはないな」 「ないはずと思いますが」 「しかるに、なんで、ここ数日のようなうわさが立ったのだろう」 「おそらくは、院の近習たちが、わたくしへケシかけたように、山門側をケシかけておるのではないかと察せられます」 「よし。分かった」 清盛は、さっぱりした顔に返った。 料紙と硯硯すずり
を取り寄せ、大きな文字を数行に書いた。何の書状か、それを折りたたんで、自身で密封した上、 「忠度ただのり
、忠度」 と、末座の方へ、眼をやった。 「わぬしはまだ都では、顔を見知る者がないゆえ都合がよい。平装束ひらしょうぞく
に直して、これを、山門へ携えてまいれ。── 叡山の大法師、如空坊、実相坊、乗円坊のうち、たれか一名の手へ、しかと手渡しして来い。・・・・返辞か。・・・・いム、返辞には及ぶまい。ただ、道すがらも、気をつけて行け。院のまわし者などに、騙たばか
られるなよ」 忠度は、すぐ、席を外した。 山門側の主脳部のうちに、清盛から親しく書面をやるような知己ちき
がいつのまに出来ていたのだろうか。満座の者はみな意外な感じを持った。忠度が退さ
がって行った後までも、不審顔をたたえていた。 「何しろ、うるさいことになった」 清盛は、つぶやいて、また、 「おれにも、具足を出せ。物の具だけは、着ていよう。・・・・まことは、疲れて帰ったところだ。一眠りしたいほどがが」 と、しぶしぶ、身を起こして、鎧よろい
を着こんだ。そして、黒革の胴をつけたり、脛当すねあて
の緒お を結びながらも、何度も、舌打ちして、ひとり言をもらしていた。 「・・・・どうも、物好きでいらっしゃる。まわりも良くないが、御自身、乗ってみたいお気持が強すぎる。・・・・お止しになればよいに!人騒がせな」
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