〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/30 (木) がく うち ろん (六)

それは、列の終わりが、まだ洛内の皇居にあるかと思われるほど、長い長い火焔かえんひも に見えた。
先駆さきが けの武者 ── 内舎人うどねり ── 旛手はんしゅ ── 大喪使 ── 胡?やなぐい ── 弓 ── たて ── 御物びつ ── 御服櫃ぎょふくびつ ── 左右衛府の大喪使 ── 大真榊まさかき ── 祭官 ── 御饌櫃ぎょせんびつ ── 御幣櫃 ── 祭官 ── 祭官長 ── 伶人 ── 雅楽頭うたのかみ ── などの喪冠もかん 喪服もふく の人影が、雲のように、山陵へ登って来ても、なおまだ、はるかな野路のじ の火はつづいている。
が、やがて。
人の哀愁が天地をつつむのか、天地の静寂しじま が、人を悲しませるのか、一瞬、星も落ちて来そうな無風帯の夜となったとき・・・・ ひつぎの轜車きぐるまが、あきらかな脂燭ししょく の火光にいぶりだされて、ゆらゆらと、総門のまぢかに見えて来た。
藁沓わらぐつ をはき、素服をつけ、桐杖きりづえ をついた、たくさんな側近の大官たちに囲?いにょう された唐廂からびさし の御車であった。
大きな車の輪が巡るたびに、轣音れきおん は、キリ、キリ、キリ・・・・と、七色の哀音をきしみ出すと言われている。
まことに、それは何とも言えない、悲しげな嗚咽おえつ に似ていた。人のはらわた をかきむしらないではおかないような音色である。日ごろ、親しく天皇に咫尺しせき していた側近たちは、なおさら、肺腑はいふ もえぐられる思いがするであろう。そして、御柩みひつぎ の内の若くしてお美しい二条天皇の りし日のおん顔容かんばせ など、数里にわたる暗夜の道々、思いうかべて来たに違いない。
その中に、幾人が、
(自分は、私心なく仕えて来た)
と、今夜の良心に、言い切れる者がいたろうか。
先には、近衛帝を、西野の御陵みささぎ にお見送りし、鳥羽法皇の御葬儀にも従い、また近くは、讃岐さぬき の配所に、崇徳院すとくいん が悪霊と化すような御憤死を遊ばしたのも、よそごとに見て過ぎて来たこの側近者たちである。
(かえりみて恥じない)
と、天地に言える者がいるはずはない。
けれど、彼らとてみな善人ではあった。数里の道を、藁沓わらぐつ 、桐杖で歩みながら、途々みちみち 、さんさんとほお に涙を垂れないでいた者はない。
轜車きぐるま轣音れきおん も、自らを責め、在りし日の大君を、いろいろ思い出さしめたであろうが、果てしなき暗夜を導くような雅楽寮の伶人たちが奏でる道楽みちがく (道すがらの雅楽) にも、はふり落つる涙を誘われたに違いない。
たしかに、彼らは皆、善人である。いつのまにか、彼らは皆、自分をはかなみ、自分をあわれと思い、自分を泣いていたのである。
そして、御柩みひつぎ の二条御自身は。
おそらくは、おきさき 多子の御手みて最期さいご の御化粧をうけさせ給うて、おん顔容かんばせ もいや美しく、ほほ笑みすらたたえておられたかも知れない。
── 道楽みちがく は止んだ。七色の悲しげな轣音れきおん も止んだ。
脂燭ししょく の火、かがり火、松明たいまつ は、百足虫むかで のように、山上に連なり、やがて玄宮の柵門が、冥途よみ のお迎えとして大きく開かれた。
声もない堵列とれつ の公卿百官。
その中に、清盛の顔もあった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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