〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/30 (木) がく うち ろん (五)

忠度は、生まれながらの怪力を身に持っていた。
熊野育ちの臂力ひりょく と、天性の沈着な風に加え、武技の鍛えも、怠らずにいたらしい。
彼の姿は、まるで、黍畑きびばたけ を踏んづけて歩くように見えた。法師のえり がみをつかまえたと思うと、ほかの法師へ向かって、投げつけた。
相手の手へ、彼の手がかかると、一振りに、風を起こして、人間が飛んだ。
自分の太刀は用いなかったが、相手の長柄を奪って、みね打ちは食わせるし、足業あしわざはや さも、目にとまらない。
「なにやつだ。あれは?」
「山門の堂衆でもないが」
「もとより、山門ではない。衛府えふ か、検非違使の手なら、今、平家のほかに、武者はいないはず ──」
たれも、忠度の顔は、知る者がない。
しかし、その腕力と、勇気には、さすがの南都の大衆も、みな、たじたじとなって、彼一個の為に、退き脚になった。
「しずまれ。しずまり候え。はや、span>轜車きぐるま の着かせ給う時刻にてもあるぞ」
教盛は、さっきから、南都と叡山の、両大衆を割って、その真ん中で、叫んでいた。
「オオ、はるかな、あの火よ。御葬列の火じゃ。轜車に供奉ぐぶ して野路のじ をくる松明たいまつ の列が、えんえんとやみのかぎり、つづいて見ゆるぞ」
たれかが、高い所で、どなった。
さしも、猛り合っていた北嶺南都の法師たちも、
「すわ、お着きか」
と、一瞬に、鳴りをしずめ、急に、取り乱した姿をととの えるやら、怪我人を仮屋へ担ぎ込んで隠すyら、喧嘩はやんだ。
けれど決して、心中の余憤までが、冷静に返ったわけではない。
興福寺西金堂にしこんどう六方者ろっぽうもの ── 勢至房と観音房とは、そのあいだに、やみを切って、御墓所ごむしょ の荒垣のそばへ、駆けて行った。
この二人ばかりではないが、この二人の大悪僧は、うすい墨染の法衣の下には、萌黄もえぎ おどしの鎧を着、手には、白柄の薙刀なぎなた 、腰には、大太刀を横たえていた。
勢至房は、太刀を抜き払い、観音房は薙刀を、柄みじかに、握って、
「おのれ、延暦寺っ」
と、そこの第二位にあった額を、左右から跳び上がって、 り落した。
「あははは、山門が真二つよ」
と、勢至房が、大口をあいて笑うと、観音房も、さも心地よげに、
「・・・・鳴るは、滝の水。・・・・鳴るは滝の水」
と、うた いながら、大薙刀を振って、舞いはじめた。
勢至房も、足拍子、歌拍子を合わせて、
「── 滝は多かれど・・・・うれしやとぞ思う、鳴るは滝の水」
「── 日は照るとも、絶えずとう たり・・・・絶えずとう たり、鳴るは滝の水」
舞い連れ、謡い連れて、二人が溜飲りゅういん を下げているのを見ると、ほかの興福寺方の同勢も、わあっと、声を一つにあげて、はやしたてた。
当然、叡山方も、気がついて、
「やったな!」
と、怒気をみなぎらせたが、その時、ふもとの方では、もう大葬の前駆が着いて、松明たいまつ の火光が、天を焦がすばかり赤く望まれた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next