〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/30 (木) がく うち ろん (四)

しかし、この喧嘩は、すぐ全山に聞こえたので、ふもとの総門にいた左馬権頭さまのごんのかみ 教盛のりもり は、すぐ兵を連れて、山上へ駆け上がって来たし、各所の幔門まんもん に、衛士えじ を勤めていた武者たちも、
「一天の君の御墓所ごむしょ において、時もあろうに、僧侶そうりょ たる身が、霊輦れいれん のおん渡りをまえに、口論腕力に及ぶとは何事ぞや」
と、口々に憤慨しながら、駆けつけて来た。
忠度ただのり も、もちろん、その中にあった。
けれど、まだ都めずらしい彼には、いったい、何が何なのか、よく分からない。
彼が育った熊野の仏都 ── 熊野三山の法師たちも、ずいぶん乱暴だし、教義よりも、武力を尊ぶ風はつよい。けれど、こうまで、権力や体面にかかずらって、僧が僧の身も忘れ、しかも、天皇の大葬の夜に、こういう大喧嘩を演じ出すとは、どうながめても、忠度には、理解できないことだった。
── で。手の下しようもなく、南北の荒法師が、ここかしこで、組んずほぐれつ、また、なぐり合ったり、 り合ったりの ── あさましいおめ き合いをやり出したのを、茫然ぼうぜん と、見て立っていると、
「忠度、忠度っ」
と、義兄あに の教盛が、ここへ来てもまた、しかりつけた。そして、
「なぜ、とり鎮めぬか。── それっ、上から降りて来る法師輩ほうしばら を、片っ端からたたき伏せろ。あの御墓所ごむしょ の祭殿をうしろに陣どっている法師勢だぞ」
と、指さした。
それは、南都の興福寺側の方を、いっているものらしい。
すこし片手落ちな、とは思ったが、忠度は、
「あれですか。あちらのがた ですか」
と、念を押した。
「そうだ。仮借かしゃく するな」
「どうしても、かまいませんか」
「太刀は抜くなよ」
「かしこまりました」
忠度は、義兄あに が指さした群れの中へ、ひる みもなく、飛び込んで行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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