しかし、この喧嘩は、すぐ全山に聞こえたので、ふもとの総門にいた左馬権頭
教盛のりもり は、すぐ兵を連れて、山上へ駆け上がって来たし、各所の幔門まんもん
に、衛士えじ を勤めていた武者たちも、 「一天の君の御墓所ごむしょ
において、時もあろうに、僧侶そうりょ
たる身が、霊輦れいれん のおん渡りをまえに、口論腕力に及ぶとは何事ぞや」 と、口々に憤慨しながら、駆けつけて来た。 忠度ただのり
も、もちろん、その中にあった。 けれど、まだ都めずらしい彼には、いったい、何が何なのか、よく分からない。 彼が育った熊野の仏都 ── 熊野三山の法師たちも、ずいぶん乱暴だし、教義よりも、武力を尊ぶ風はつよい。けれど、こうまで、権力や体面にかかずらって、僧が僧の身も忘れ、しかも、天皇の大葬の夜に、こういう大喧嘩を演じ出すとは、どうながめても、忠度には、理解できないことだった。 ──
で。手の下しようもなく、南北の荒法師が、ここかしこで、組んずほぐれつ、また、なぐり合ったり、斬き
り合ったりの ── あさましい喚おめ
き合いをやり出したのを、茫然ぼうぜん
と、見て立っていると、 「忠度、忠度っ」 と、義兄あに
の教盛が、ここへ来てもまた、しかりつけた。そして、 「なぜ、とり鎮めぬか。── それっ、上から降りて来る法師輩ほうしばら
を、片っ端からたたき伏せろ。あの御墓所ごむしょ
の祭殿をうしろに陣どっている法師勢だぞ」 と、指さした。 それは、南都の興福寺側の方を、いっているものらしい。 すこし片手落ちな、とは思ったが、忠度は、 「あれですか。あちらの方がた
ですか」 と、念を押した。 「そうだ。仮借かしゃく
するな」 「どうしても、かまいませんか」 「太刀は抜くなよ」 「かしこまりました」 忠度は、義兄あに
が指さした群れの中へ、怯ひる
みもなく、飛び込んで行った。 |