〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/05/30 (木)
額
(
がく
)
打
(
うち
)
論
(
ろん
)
(二)
山上に仰がれる
玄宮
(
げんきゅう
)
の
宝壙
(
ほうこう
)
(
御
(
み
)
ひつぎを埋める
石槨
(
せっかく
)
の坑)
── を中心に、その
御陵
(
みささぎ
)
から山の中腹、ふもとの香隆寺まで、船岡山一帯が、めぐらされた
柵
(
さく
)
の内なのである。祭場であり、
幄舎
(
あくしゃ
)
であり、霊殿であり、
鼓鉦
(
こしょう
)
の
列
(
れつ
)
が立つ
幕
(
とばり
)
であり、旗であり、また
御榊
(
みさかき
)
と
篝
(
かがり
)
の広庭だった。
そして、ここにまた、天皇の
御柩
(
みひつぎ
)
を、
御墓所
(
ごむしょ
)
の宝壙へ渡しまいらせる儀式のまえに、やかましい慣例があった。
南都、北嶺の大衆が、御墓所のまわりの
荒垣
(
あらがき
)
に、おのおの、わが寺々の額
(たてふだ)
を打つのである。
やかましいというのは、その順序なのだ。公卿の宮中席次のように、寺々にも格式が決められている。
まず、聖武天皇の
御願
(
ぎょがん
)
による建立なればとあって、いつの第一に、
東大寺
(
とうだいじ
)
。
と書いた額が打たれる。
第二番は、南都、すなわち、
興福寺
(
こうふくじ
)
。
第三は、叡山で、
延暦寺
(
えんりゃくじ
)
。
そして次が、
園城寺
(
おんじょうじ
)
であり、
東寺
(
とうじ
)
、
高野
(
こうや
)
などの七大寺がつづき、以下それぞれの寺格によるのが、作法だった。
ところが、叡山延暦寺の、いわゆる山門の大衆たちは、どう考えたか、奈良の興福寺を越えて、東大寺の次の ── 第二番に、延暦寺の額を打ってしまった。
「やや、人もなげな山門の仕方よ」
「なんの
含
(
ふく
)
むところがあってか」
「先例にない。── 先例に
背
(
そむ
)
く」
「これが黙っていられるか」
「懸け合え、懸け合おっ」
「山門の
学侶
(
がくりょ
)
を引っぱり出して詰問しろ」
「いや、学侶など、相手にするな。
座主
(
ざす
)
の俊円に会うて、所存を
糺
(
ただ
)
せ」
当然、南都の
大衆
(
だいじゅう
)
── 興福寺の僧や
神人
(
じにん
)
たちは、おさまらない。
こぶしを握り、眼をいからし、
激昂
(
げっこう
)
の渦を作って、興福寺別当の
尋範
(
じんはん
)
へ迫った。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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