〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/29 (水) がく うち ろん (一)

驟雨しゅうう は、ほんの一ときで、あが った。
具足も馬も濡れひたった姿で、忠度ただのり は、葬場殿のある船岡山へ、引っ返していた。
「忠度、何していたか」
ふもとの総門前までかかると、堵列とれつ していた衛府えふ の東ノ陣の主将、左馬権頭さまのごんのかみ 教盛のりもり が、彼を見て叱った。
「はっ。先刻のおいいつけにより、お道筋の下検分に加わってまいりました」
「それはよいが、部下の者は、どう召された」
「路傍の拝観者のうちに、病人が出ましたので、牛車くるま など貸し与え、助けてとらせました。やがて後から戻りましょう」
「おびただしい人出だと聞く、路傍の病人などは、路傍の人間に委せておけ。御辺ごへん の役目ではあるまいが」
「はい」
「御辺の持場は、七番の幔門まんもん であろう。やがての篝火かがりび の用意などもしてあるのか。早く外陣の持場につき給え」
昨日 今日、忠度ただのり は田舎育ちのかなしさを味わった。
教盛のりもり は、清盛に次ぐ三番目の義兄あに だから、何と言われても仕方がない。
先ごろ、兄の清盛について、熊野から都へ出たばかりの彼である。さっそく任官したが、検非違使尉けびいしのじょう という一門の内では最も低い官職だった。
今日の大葬は、彼にとって、初めての体験だけに、二十人の部下をさえ持ち扱って、まごまごしたのも無理はない。
兄の大納言清盛や、次兄の経盛たらは、それぞれ、大喪使たいそうし の任を帯びている。また嫡男の小松重盛、次子の基盛、宗盛、知盛とももり などもみな轜車きぐるま (御柩みひつぎ の車) の御供をして来るに違いない。一門のうちで、今日の大葬に列しない者といえば、先に、二条天皇のお疑いをこうむって、官職を召し上げられ、今も蟄居中ちっきょちゅう の右少弁時忠と、池ノ頼盛があるだけである。
「オオ、虹が見える。夕虹が立った」
「もう雨の憂いはない。はんかか げよ ── 日像旛にちぞうはん月像旛がつぞうはん を、掲げていいぞ」
葬場殿のつかびと たちは、夕映ゆうば え雲の下で、にわかに、準備に忙しかった。
ひる さがりの真っ暗な空もように、濡れよごれそうな物は、一切控えていたのである。    

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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