彼は近年、師の百川
から習んだ医術のほかに、自分で “貌診ぼうしん
” というものを工夫していた。 あらゆる内患は、人間の皮膚、面貌めんぼう
の色相になって、正直にあらわれる、という基礎に立った一種の診断法、相病学なのである。 やがて脈を取り、全肢ぜんし
も診み て、すぐ手当てにかかった。 手早く、体の数ヶ所に、鍼はり
も打った。 「かたく、歯を閉じていますから、どなたか、この薬を、噛か
みつぶして、唇くち うつしに、含ませておやりなさい」 麻鳥は、幾粒かの丸薬を、自分の掌てのひら
へのせて出した。まわり人びとを見て告げた。 下僕は、白拍子たちをうながし、白拍子たちもまた、その役をゆずり合って、お互いにもじもじしていた。 すると、年上の白拍子が、中でも年下の一人を、うしとから前へ押し出して、 「妓王ぎおう
さま、あなたがよい。あなたは、刀自とじ
の養女むすめ ぶんですし、日ごろ、いちばん可愛がられていますもの」 と、名指しで、いいつけた。 「・・・・わたくしでよいかしら」 と、妓王はわるびれる風もない。 市女笠の紐ひも
を解いた。そして麻鳥と病人の前に、かしこまった。 手を見てさえ、まだ十六、七の処女おとめ
とすぐ知れるような白い掌を開いて、麻鳥の方へ出した。 彼女の掌て
のうらへ、麻鳥はそっと片方の掌を添えた。そして、自分の掌の上から女の掌へ、真珠色のいとも小さい粒を、幾粒もころがした。 「・・・・あっ。あなたは」 「おっ。明日香あすか
ちゃんか」 薬は、露の白玉みたいに、指の間から、消えてしまった。どっちの掌が、こぼしたのか分からない。 驚きも一緒、薬がこぼれ散ったのも一緒だった。 「や、いけない、いけない」 麻鳥はあわてて、薬嚢やくのう
から同じ薬を取り出した。あらてめて、妓王の掌へそれを移し直し、そして、周まわ
りの人の怪しみを、ともかく、さり気なく紛まぎ
らせた。 「さ、早く御病人へお上げなさい。・・・・そして、お口を割って、喉のど
へ水を落として上げるとよい」 ちょうど、その時、さっきの部下の者が、牛車を引いて帰って来た。 若い武者は、ほかに心も忙しいらしく、馬上に返って、あとのことを、部下に託し、ひと足先に駆け去った。 「さ。早く車へ乗れ。少し窮屈でも、下僕のほかは、みな乗るがよい。どうだ。病人の容子ようす
は」 「おかげで、あのように、お楽らく
になったようなお顔色です。ありがとうございました」 白拍子たちは、そろって、車副くるまぞい
の者へ、礼を述べてから ── 「お優しい大将にお会いして、刀自とじ
もわたくしたちも、倖せでした。今、あちらへ行かれた公達は、一体、どなた様でございましたか」 「今のお方は、まだ、熊野から都へ来て間もないが、清盛様とはお腹違いの御舎弟、検非違使尉けびいしのじょう
、忠度ただのり 様というお方だ」 「まあ、それでは、大納言様
(清盛) の弟君だったのですか」 白拍子たちは、もう見えない駒こま
の行方を、もう一度、見送っていた。 けれど、妓王だけは、牛車くるま
の内へ入るまで、べつな人へ、後ろ髪を引かれていた。 ひと言こと
、何か語りたいと思っても、麻鳥はもうその近くにいなかった。蓬子の眼が、後ろにある。彼もまた、心にもなく、牛車のそばを離れていた。 |