「・・・・や、病人か」 馬を降りて来た公達武者は、手の早い部下を制して、やさしく訊
ねた。下僕しもべ のひとりが、おろおろして答えた。 「はい、暑さあたりでもなされましたか、お主あるじ
が、にわかに、道でたおれましたので、皆して、御介抱しているところでございまする。すぐ、背に負うて、ほかへ移りまするゆえ、しばらく、お見逃しを」 「待て待て。・・・・老女は苦しそうな。・・・・立ち退の
かいでもよいわ、すこし落ち着くまで、そうしておいてやれ」 「え。よろしゅうございますか」 「よいとも、病人を、雨にでも打たせたら、なお悪かろう。・・・・なんぞよい薬でもなおものか。たれか持たぬか」 武者は、たくましい姿にも似ず、やさしい心の持ち主らしい。 しきりに、鎧の袖そで
を探っていたが、今日に限って、薬嚢やくのう
を持ち合わせていなかったのを、悔やむような眉まゆ
でさえあった。 「そちたちは、いったい、どこの女房たちか」 「堀川の白拍子町に住居する者でございます」 「ほ。白拍子とな」 若い武者は、市女笠いちめがさ
の女たちを、見直して、 「── こんな遠い野路のじ
まで、御葬儀をお見送りに来たのか」 と、言った。 「はい・・・・」 と、年上らしい白拍子の一人が答える。── 「お主あるじ
の刀自とじ が、どうしても、船岡山を間近う拝みたいと仰っしゃるので、ここまで参りましたが、その刀自がこんなことになって、どうしてよいやら、途方に暮れていました」 「牛車くるま
を貸してつかわそう。病人を乗せて帰るがいい」 彼のいいつけに、部下の一人は、どこかえ走って行った。その間も、病人は痙攣けいれん
を起こして、しきりに、苦しみ訴えぬく。 麻鳥は、遠くの木蔭で、見ていたが、病人騒ぎらしいと思うと、素知らぬ顔をしているのが、何か良心の苦痛になった。──
で、そっと、山門の横へのぞきに行って、またすぐ、蓬子のそばへ帰って来た。 「ねえ、よもぎ」 「なんですか」 「癒なお
してやりたいなあ、あの病人を」 「およしなさいませ、六波羅の侍衆がおりますよ」 「いてもいいじゃないか。人助けだもの」 「あなたは、あの白拍子たちの右側に立っている若い男を、たれだと思っているんですか」 「あれは、あの白拍子の主あるじ
について来た下僕しもべ だろう」 「それは分かっていますけど、氏うじ
や素性を、知っていますか」 「そんなこと、わしが知るはずは、ないじゃないか」 「だからお止と
めしているのです。・・・・わたくしも、びっくりして、人違いかしらと、眼を疑ってしまいましたの。── 向うも、わたくしの顔を見れば、ハッとするでしょうから、わざと、こうして木の幹に、身を隠すようにしているんです」 「へえ。あの下僕は、見たままな下僕ではないのかい」 「むかし源義朝さまの侍童じどう
をしていた金王丸こんのうまる
というお人です」 「えっ、金王丸?・・・・あれが」 「あなただって、御存知でしょう。平治の戦いくさ
の後で、悪源太どのと一緒に、六波羅で追捕ついぶ
の令のきびしかった人ですもの」 「何か、人違いであとう、それは」 「いいえ、わたくしが、見違えるはずはありません。ひところ、常盤さまのお命をうかごうて、壬生みぶ
のお住居へ忍び入ったりしたことがあるんですもの」 「不気味だなあ。どういう訳で、白拍子町で、下僕奉公などしているのだろう」 「その肚はら
だって分かりませんし、そばにいる六波羅衆だって、夢にも知らずにいるんでしょう。・・・・けれど、後で分かってごらんなさい。どんな巻き添えをくうか」 「ははは。そんな取りこし苦労なのか。わしはもともと、源氏でもなし平家でもなし、おまけに、今は内裏だいり
の伶人れいじん でもないから、そういう心配なら、何が起ころうと、平気だよ。・・・・かりにも、医道にたずさわる者が、病人を見て、横を向いているのは、心の呵責かしゃく
だ。うしろめたい」 「どうしても診み
て上げたいんですか」 「癒らぬ病気ではなし、急に、今日の暑さにたおれたぐらいなら、すぐ苦痛は除と
ってやれる。先もこっちも、わしだけなら顔は知らないのだから、さしつかえあるまい。おまえは、ここで待っておいで」 麻鳥は、言い残して、山門の袖壁そでかべ
へ、近づいて行った。 その跫音あしおと
に、ふと、病人を囲む人びとの眼も、彼の方へいぶかしげに、振り向いて、彼の姿にそそがれた。 かれの親切と、そして医生であることが、やっと先にも通じたとみえる。六波羅の若い武者も、女たちも、よろこんで、病人のそばに、彼を迎えた。 「・・・・・」 麻鳥は、脈を取ることもせず、黙って、病人の顔を、冷酷なほど、凝視していた。
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