都へ帰ると、もう夏であった。 忠度を連れて、院へ伺った。 上皇のご機嫌は、おうるわしい。旅の労をねぎらわれ、また、忠度を御覧ぜられて、 「頼もしそうな」 と、仰せられた。 しかし、清盛はあとで、いやなことをちらちら聞いた。 留守中、院の寵臣
西光法師が、六波羅の兵力、武器の蓄え、福原、西八条の土木の進捗しんちょく
だの、、その経済面の出所だの、いろいろな部門を、探り歩いていた様子であるという。 それを、おくびにも仰せ出されないのみか、温顔だけを見せた給う後白河の君であった。清盛は、胆きも
をすくめた。どうも、苦手というか、水と油の性というのか、彼にとって、この君は、なんとも安からぬ御方に思えて仕方がない。 「邪魔だろうか。・・・・おれも、鮒ふな
か目高の仲間で、鯨ではなかったのだろうか」 ひそかに、自分に恥じ、そして、そうは考えまいと、努めていた。 すると、翌年の五月である。 延暦寺えんりゃくじ
と園城寺おんじょうじ のあいだに、受戒壇じゅかいだん
のことから、争いが起こり、余憤を駆か
って、一部の山門の僧徒や神人じしん
が洛内へ、例の強訴ごうそ を言い立てて乱入して来た。 清盛に、掃討の命が降った。院宣である。 もちろん、清盛は、一族の者を向けた。──
そのおり、六波羅へ召し捕って来た山法師の口から言われたことなのである。 「決して、上皇の御意とは申しきれませぬ。しかし、院の近臣に、ある遠謀があるのは確かです。ことあるごとに、山門と、六波羅とを、噛か
み合わせ、叡山と平氏との間に、宿怨しゅくえん
を孕はら ませんという御意志に相違なく、先年来、院の密使が、いくたび、叡山に来ておられるか知れません」 これは清盛として、驚くには足りなかった。 なぜならば、叡山は、強大な武力の巣窟そうくつ
でもあるからである。しかも地方的武力ではない。洛内とは最短距離の地の利にあるものだ。上皇が見逃しておかれるはずはない。 これを引き寄せておく、そして、平氏の台頭たいとう
を牽制けんせい する。でなければ、時により変に応じて、平家を一時的に用いて、山門を押さえる。 上皇がお考えになりそうな策である。清盛は、とくに察していた。──
というよりも、常に親しくしている山門のある二、三の者から、注意されていたのである。 由来、僧団と武門とは、犬猿けんえん
の間であった。 一は山中の餓猿がえん
、一は権門の番犬ばんけん 、その職能は、宿命的に、咬か
み合い以外の何ものでもなかった。 時勢はやや変わって来たが、しかし平家の隆昌を見てよろこんでいる山法師は一人としてないはずである。藤原氏と縁故の深い南都の大衆はいうまでもない。 それなのに、ここに、たとえ一人か二人でも、身を山門においている僧団のある者が、清盛に気脈を通じていたとすれば、それこそ近ごろの異事としなければならない。
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