「都へ行くか。おれと一緒に」 「もとより、多年の宿望でした。それを、いつの日ぞと、夢にまで見て、待ちこがれておりました。 「連れて戻ろう。外記どのへ、多年の御養育を、ようく、お礼申してゆけ」 外記は、小酌をそなえて、別れを惜しんだ。 「生みの母御は」 と、清盛が訊
ねると、忠度は、また泣いた。何かにつけ、すぐ涙ぐむ弟だった。清盛は、自分の二十歳ごろが、思い出された。 「母は、幼いうちに、亡な
くなりました。・・・・して、都には」 「池殿という、ほかの兄弟の母がおる。・・・・いや、母の話しはようそう。時に、那智は遠いか」 「お出で遊ばしますか」 「めったには、また来られまい」 「お供いたしましょうず。忠度は、道もよう心得ておりますゆえ」 「その夜は、また一人の弟を得たよろこびを、清盛は、こうした旅で、心に刻んでおきたいと思っている。 日を経て、那智へ着いた。 滝御堂がある。 滝守たきもり
の禰宜ねぎ が、六波羅殿とは知らずに、話しかけた。 「もう十日ほど早くお越しなされますと、滝つぼに、希代きたい
な行者が、今年も二十一日の行ぎょう
に就いておりましたのに、惜しいことをなされました」 「希代な行者とは。・・・・あ、うわさのたかいお、文覚もんがく
か」 「さようでございます。ここへ荒行にお見えになってから、もう二十年、春か秋かのべつはございますが、まだ一年も、お欠かしになったことはありませぬ」 「なるほど、希代なばかだな。次に文覚が見えたら、そういって去った者があると申しておけ」 「えっ・・・・たわけよと、仰せられますか。して、あなたは、どなたですか」 「伊勢ノ平太といえば分かる」 「伊勢の・・・・?」 「うむ、もうひと言、こうも伝えてくれい。なぜ、六波羅へ参らぬかと。むかしの誼よし
み、一寺は寄進申そうにと、待っておるのに、いっかな、やって来ぬ。こけの一念みたいな滝かぶりを、幾歳いくつ
になるまで致したら埒らち があくつもりかと言ってやれ。・・・・あははは、忘れずにの」 清盛のうしろ姿を、禰宜は見送っていたが、ふと、何か思い当たったように、身ぶるいして、滝守小屋の内へ走りこんだ。
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