清盛にとって、熊野路の旅は、なかなか思い出深いものがある。 紀伊半島の一丘
、外洋の波濤はとう を望む切目きりべ
神社の境内に立って、彼は、どんな感慨を抱いたろうか。 平治の乱の直前。 ── 洛内大騒動の早馬を受けたのは、ここだった。 もしあの時、一歩の方向を過あやま
っていたら、今日の自分はなかったと思う。 「── とり遠い以前、伊勢の海を熊野へ渡る途中、大きな鱸すずき
が自分の舟へ跳と びこんだこともあった。平治の門出といい、鱸の吉兆といい、疾と
くに一度は、御礼詣まい りに参るべきであった」 今度の熊野道中は、なにごともない。 清盛の主従、百人ほどは、田辺から山地へ入った。山また山を、蟻あり
の列のように越えて、幾夜の泊りを山でかさねた。秋津、一ノ瀬、湯川、発心門、そして本宮にやっと着いた。 ここは、天上の山都さんと
といってよい。 四山は高く清く、熊野三山の首社は、熊野川上流の島にある。島の鬱蒼うっそう
は同塔をつつみ、仏舎楼閣の金碧に映えて眼もまばゆいばかりである。 総門、脇門、その他の諸門廊は、仮御所、参籠さんろう
の夜殿よどの などにつながって、果ても見えない。島の外は、小京都を思わせる門前町をなし、天皇の行幸、上皇、妃嬪ひひん
たちの遠い御旅に、いちどに、千余の公卿や従者が、あふれ返っても、宿坊に事は欠かないし、あらゆる備えにも不便はなかった。 清盛は、参籠の精進に入った。 七日の参籠もすまして、やがて、その後の十日間を、湯ノ峰の湯宿に送った。 彼はある日、わずかな従者を連れ、身軽な服装で、熊野川を小舟で下って行った。 土地ところ
の者に案内させて、宮井の宿場しゅくば
で降り、九重村というのを尋ねた。 熊野の別当長範の旧臣で、宮井外記げき
という老人の隠居屋敷を訪うたのである。 清盛を迎えて、外記は、こういった。 「かならず、お見えになるものと存じておりました。・・・・さはいえ、いよいよ、幼少から御養育申し上げて、わが子のような思いのするかの君と、お別れかと思うと老いの涙をとどめ得ませぬ」 そういいながら、やがて外記は、一個の偉丈夫を、清盛の前へ連れて来た。 「・・・・弟か。忠度ただのり
と申すおれの弟か」 「六波羅の兄君でございますか」 清盛と、その異母弟、忠度とは、この日、初めて、相見たのである。 むかし、二人の父忠盛も鳥羽院に供奉ぐぶ
して、この熊野に詣もう でたことがある。そのおり、別当の一女、浜御前はまのごぜ
と忠盛との間に宿されていた一子が、忠度であったのだ。 かねて、この熊野の山中に、父を同じゅうする一人の弟があるとは、聞いていた。しかし、こうして巡めぐ
り会ってみると、清盛には、目前の弟からうける情感よりも、亡な
き父の姿ばかりが忠度の姿に重なって見えた。そしてひそかに、 (父もなかなかすみにおけないお方だった。供奉のお旅先に来てまで、別当の女むすめ
へ恋歌などお遣や りになったものとみえる・・・・) などと思い、自分もやがてその年ごろの父に、似かようて来たかと考えて、何やら苦笑を禁じ得なくなる。 ──
が、忠度の方は泣いていた。 「忠度、幾歳になったぞ」 「十九になります」 「ほ。・・・・十九とは」 清盛は、あらためて、弟を見た。 十九とは、思えない。山育ちのせいもあろうか、たくましい筋肉や、物腰の好ましさ、そして、静かな光をひそめた眼差まなざ
眼差まなざ しは、もっと成人している一個の人格を感じさせる。 「・・・・尾籠びろう
な態をお見せしてお許し下さい。つい、兄君を見て、お顔を知らぬ父上は、こうもあったお方かなどと想い出されましたため」 忠度は、懐紙を出して、涙をふいた。笑うと、やはりどこかに、童顔がある。清盛は自分の顔が、この弟ほど純でないのを知っている。何か、初めて、羞恥しゅうち
に似た気持と、会うべくして今日まで会えずにいた骨肉の愛情とが、淡い涙となって、瞼まぶた
を濡らして来た。 |