〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/26 (日) ひる がお ゆう がお (四)

上皇は、人づてに、お聞きになって、
「宋船を入れるためとは、口実であろう。平家の加担人かとうど は、みな西国の国々にある。おそらくは、平家の兵船を常備するための計に違いない」
と、穏やかならぬ御気色みけしき でつぶやかれた。
おそばに、藤原師光ふじわらもろみつ といって、今は法体ほったい して、西光さいこう 法師と呼ばれている院の寵臣ちょうしん がいた。
「まことに、御慧眼ごけいがん です」 と、西光も同様な意見を述べた。
これより前に、清盛は、熊野へ行く為に、二ヶ月ほど賜暇を、院へも朝廷へも願い出ていた。
応保二年の三月である。
清盛が出発すると、西光法師も、旅へ出かけた。彼の留守の間に、福原地方を一巡し、やがて院へ帰って、後白河に、復命していた。
「つぶさに、探ってまいりました。いかさま、福原の高地に、別荘でも建てるらしく、土木の人夫が、働いておりました。大輪田のとまり には、さして変化も見えません。ただ、水門みなと 川あたりに、人群れが見えるので寄ってみますと、木工寮もくのりょう野見のみ 隼人はやと飛騨ひだの 多門たもん などという技官が、測量などをいたしておるようでした」
「ははあ、そのような、程度のものか」
「まず、六波羅殿の力を持ってしても、築港を施すなどという大工事は、思いも寄りません。あるいは、水門みなと 川の川尻かわじり に、小規模な波防なみよ けを設けて、船造師ふなつくりし などは置くかも知れませんが」
「あの辺りの荒磯は、弘仁、延喜年間にも、国費をもって、たびたび波防けの大工事は試みられていた。しかも、工事の成ったためしはない」
「清盛殿とて、それを知らぬはずはありません。・・・・ですから、やはり築港などと申すのはうそでしょう。御賢察のとおり平家の船蔵ふなぐら でも設けて、何かの時の備えとなす考えにそういありませぬ」
「とにかく、清盛とは、常に、何か腹に策を持っている男よの」
「されば、帰途、西八条を見てまいりまいたが」
「お、西八条にも、たいそう、大規模な土木を起こしておると聞くが」
「いやもう、それは八分通り、できかけておりまする。えん として、新しい城市が、都の一隅いちぐう に、出来つつあるのでした。いったい、あんな広大な館 ── ほり をめぐらした城壁のような構え ── また無数の武者屋敷などに ── どんな王者おうじゃ が住み、何者を聚楽じゅらく させるつもりでしょうか」
西光は、誇張もなく言ったつもりだが、後白河は、御気色みけしき をうごかされた。何かを猜疑さいぎ あそばして考え込む時によくなさる下唇の端を犬歯けんし でかんでおいでになった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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