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永万元年。 清盛にとると、例の大輪田ノ泊
を踏査して、厳島いつくしま 詣まい
りをはたしたあの年から、ちょうど、今年までに、三年半を経過している。 その間の彼の変化は大きい。 いや、彼の成長といおう。 人間の本当の成長とは、たれも気のつかないうちに、土中で育っているものである。人が言いはやすのは、地表の茎や花でしかない。 では、その三年半、彼は、どういう努力をしていたか。 おそらく、大輪田ノ泊から福原一帯を、日宋貿易にっそうぼうえき
の港市みなといち にするために、例の熱中癖で、まがまひまな、五条の伴卜ばんぼく
などの衆智を集めて、何十遍となく協議もし、腹案の訂正やら、再踏査などに、不撓ふとう
不屈ふくつ の努力を、励ましていたにちがいない。 その結論として、 「あの荒磯を、良港とするには、どうしても、築港を築くことだ。・・・・が、とても私財で出来るものではない」 後白河には、そんな興味もないことは知れすぎている。上皇の御希望は、ほかにある。思いのまま政権をお執と
りになりたい御執着のほかあるまいと、うかがわれる。 ── とすれば、朝廷に奉請して、この国家暦な事業を達する以外に方法はない。 上皇が、清盛の兵権に、恋々たる御心のあるように、朝廷の上卿もみな、清盛のそれを他へ失うまいと気心をつかっていた。──
清盛は、院からも朝廷からも、その意味において、疎略にされていない。 「・・・・悪くはあるまい。国のためだ」 清盛は、招かれる方へ、いつでも自由に、伺候していた。この柔軟性をもって、朝廷に、内々、奏請を仰いでみた。 彼の二つの請こ
いのうち、朝廷は、その一つを容易に許した。 朝廷の荘園しょうえん
であるところの福原地方を、清盛に賜ったこと、それである。 けれど、港湾開発の巨額な工費を見越して、朝廷が、国費を支出されることは、まるで問題にされなかった。 「そも、六波羅殿が、何を夢見て・・・・」 「武門の平家が、異国との交易こうえき
に、商利の策を案ずるとは」 「清盛殿にも似つかわしからぬこと。・・・・ただ福原の地に、別荘といわれるなら、話しは分かるが」 などと、ほとんど、殿上の一笑話にされたに過ぎない。 が、清盛は、失望の色も見せなかった。 「よし、自力でやる」 これはかえって、彼の意志をはげます拍車になった。
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