〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻

2013/05/26 (日) ひる がお ゆう がお (三)

── 永万元年。
清盛にとると、例の大輪田ノとまり を踏査して、厳島いつくしま まい りをはたしたあの年から、ちょうど、今年までに、三年半を経過している。
その間の彼の変化は大きい。
いや、彼の成長といおう。
人間の本当の成長とは、たれも気のつかないうちに、土中で育っているものである。人が言いはやすのは、地表の茎や花でしかない。
では、その三年半、彼は、どういう努力をしていたか。
おそらく、大輪田ノ泊から福原一帯を、日宋貿易にっそうぼうえき港市みなといち にするために、例の熱中癖で、まがまひまな、五条の伴卜ばんぼく などの衆智を集めて、何十遍となく協議もし、腹案の訂正やら、再踏査などに、不撓ふとう 不屈ふくつ の努力を、励ましていたにちがいない。
その結論として、
「あの荒磯を、良港とするには、どうしても、築港を築くことだ。・・・・が、とても私財で出来るものではない」
後白河には、そんな興味もないことは知れすぎている。上皇の御希望は、ほかにある。思いのまま政権をお りになりたい御執着のほかあるまいと、うかがわれる。
── とすれば、朝廷に奉請して、この国家暦な事業を達する以外に方法はない。
上皇が、清盛の兵権に、恋々たる御心のあるように、朝廷の上卿もみな、清盛のそれを他へ失うまいと気心をつかっていた。── 清盛は、院からも朝廷からも、その意味において、疎略にされていない。
「・・・・悪くはあるまい。国のためだ」
清盛は、招かれる方へ、いつでも自由に、伺候していた。この柔軟性をもって、朝廷に、内々、奏請を仰いでみた。
彼の二つの いのうち、朝廷は、その一つを容易に許した。
朝廷の荘園しょうえん であるところの福原地方を、清盛に賜ったこと、それである。
けれど、港湾開発の巨額な工費を見越して、朝廷が、国費を支出されることは、まるで問題にされなかった。
「そも、六波羅殿が、何を夢見て・・・・」
「武門の平家が、異国との交易こうえき に、商利の策を案ずるとは」
「清盛殿にも似つかわしからぬこと。・・・・ただ福原の地に、別荘といわれるなら、話しは分かるが」
などと、ほとんど、殿上の一笑話にされたに過ぎない。
が、清盛は、失望の色も見せなかった。
「よし、自力でやる」
これはかえって、彼の意志をはげます拍車になった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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