六波羅に入るやいな、清盛は、どこか冴
えない一族の者の顔を、すぐ見て取った。 「何かあったな。・・・・留守中に」 果たせるかな、嫡男の重盛が、まず口をひらいて、そのことを告げた。 「困り者の叔父上おじうえ
が、また困った大事件をお留守中にひき起しました。・・・・しかも、池ノ頼盛どのを語ろうて」 重盛が、困り者の叔父といったのは、母の弟 ── 右少弁時忠のことである。謹厳なこの惣領息子にとっては、たしかに時忠は、屋や
の棟むね を揺するような騒動をよく引き起こす人にはちがいない。 が、清盛は、その言い方が、気にくわなかった。 この息子の謹直よりも、むしろ時忠の奔放磊落ほんぽうらいらく
を愛する性情の方が、清盛には相性あいしょう
なのである。── が、また困った大事件などと言われると、彼でも、どきっとせずにいられなかった。 「なんだ、頼盛を誘うて、また、揉め事を起こしたとは」 「揉め事まどという内輪沙汰ざた
ではございません。国を危あや
うくするほどなお謀みをなされたのです」 「まさか、謀反むほん
もすまい」 「いえ、内裏方から観れば、まさしく、謀反ともいえるような」 「・・・・ま、待て、後で聞く」 清盛は、おさえた。 急に、ほかの顔を見まわした。そして、それぞれの任務の者から、留守中の報告など聴き取った。雑談などし始めても、なお、重盛には、面を向けない。 重盛も、父の心が、量はか
りかねた。長い旅路からお帰り早々、不吉な報告を先に聞かせたのは悪かったかも知れないとは思う。けれど、それにしても、一大事と言っているのに、どうして、あえて、お耳をおふさぎになるのかと、不平顔を、隠しきれなかった。 「いや、長の留守を、諸事、よく努めてくれていた。大義大義」 清盛は、奥へ入った。引き止めも出来ない。重盛も人々とともに、座を散った。 すぐ来たの渡殿を越えて行った清盛は、妻の時子に訊たず
ねていた。 「時忠が、何をやったのか」 「申しわけもございませぬ・・・・」 彼女は自分の罪のように泣いて詫わ
びた。 ── 仔細しさい
は、こうである。 清盛の不在中、相変らず、内裏と院とのおん仲は、おもしろくない事件がいくつもあったが、とこうするうちの、右少弁時忠が中心となり、左馬権頭さまのごんのかみ
頼盛も語らって、きょ去年、女御にょご
滋子しげこ が生んだ皇弟憲仁のりひと
親王を、皇太子に立てようと、ひそかに策謀をしているという風評が流れた。それはまた、はしなくも、二条天皇のお耳にも聞こえたため、 (はやくも、朕を廃して、憲仁のりひと
に位を譲らせんとする下心よの) と、いたく逆鱗げきりん
あそばされた。そしてたちまち御父子の対立は、前よりもけわしさを加えて、表面化するに至った。 その前に、上皇のおさしずによる重臣の更迭こうてつ
なども行われており、公卿たちの底流にも動揺があった。朝廷に不興をうけた者は、院へ奔はし
って、上皇にへつらい、上皇に排された者は、朝廷に来て、媚態びたい
をささげた。── 院政が始まって以来のこの弊害へいがい
は、今もまだ繰り返されているのである。こんなところから 「時忠、国を危ううす」 というような仙洞の秘事が、天聴てんちょう
にまで達したものらしい。 しかし、時忠が中心人物といっても、その実体は、後白河上皇御自身に違いないことは、分かりきっている。ただ誰にしても、上皇が、とは口に出せないまでのことだった。 (天子に父母なし。これまでは、何事も、院の仰せは奉じておったが、以後は、上皇の御命ぎょめい
とて、従うことはせぬ) お心強くも、天皇は、詔を降ろして、時忠と頼盛の官職をとり上げ、即日、殿上てんじょう
の簡かん を削ってしまわれた。 ──
清盛は、聞き終わって、 「そうか」 と、太く言っただけでである。吐息ではない。どこか、微笑すらたたみ込んでいる唇くちびる
に見える。 「何も、そなたが詫びることはないわさ。上皇の御意志以外なものであろうはずもない。時忠ごときに、唆そそのか
される御方ではないからのう。・・・・さあれ、時忠もまた、ちと血の巡りが良すぎるやつ。ひょっとしたら、清盛が都に不在中にこそ、大事なすべしなどと逸はや
まったかも知れん。もし、清盛が在京なかの出来事であって見よ。清盛も、天皇の逆鱗げきりん
に触れ、朝廷を遠ざけられていたであろう。好むと好まざるにかかわらず、清盛は、上皇方に追い込まれる。上皇には、思うつぼと、ほそく笑まれることであろうが」 「けれど、どうしたものでございましょう」 「案じるな。清盛が帰ったからには」 何が起こっても、いつもこう言うきりの良人である。妻にはかえって張り合いがない。 ふと、彼女は、疑った。 (もしや、良人も時忠も、ほんとに、滋子しげこ
の生み参らせた親王を、皇太子に立てようとするような望みを抱いているのではあるまいか。── よしや後白河上皇のお心にも、同じお考えがあるとしても) 思うだに、彼女には重荷である。そら怖おそ
ろしい。男の欲望の気が知れない。 どうかそんな大それた望みにとりつかれぬようにと、彼女は、心の底で念じる。しかし、良人の顔には、妻の要望などは寄せつけそうもない覇気はき
が、男くさい脂あぶら になって、浮いて見える。
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