〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/24 (金) きびあわひえ (二)

帰京第一に、清盛は衣冠して、参内した。長時間の拝謁はいえつ をとげた。お若い陛下にとっては、清盛はたの む者の一人であった。
二代の后として、多子を入内じゅだい させる思し召しの時も、清盛は、力であった。たの みがいある者と、そのときの彼を、お忘れはない。
けれど、その清盛が、おなだめしても、事、上皇とのおん仲についてとなると、すぐ御不興な御気色みけしき になった。
時忠のことには、少しもお触れにならない。
一日おいて、彼はまた、院の御所へ伺候した。
上皇は、あかねて、時子へ策を与えてやったことが、この良人によって、実行されたので、ひそかに、得意な御容子ごようす であった。
厳島の風光、くさぐさな船旅の土産話など、、一わたり、すんでから、清盛は装束のそで を正して、上皇のお姿を拝した。
「改まって、奏聞そうもん に達しまするが ── その厳島で、わたくしは、七日七夜の参籠さんろう のうちに、はからずも、伊都伎いつき の神の夢告をうけました」
「ほ、夢告をうけたとか」
上皇は、不信心な清盛が、いつにない真面目さに、うかと、まにうけられた。
「されば、たしかに、神のお告げぞと思われました。── と申すのは、松風、波の音のこころよさに、ふと、まどろむうち、たなびく紫雲の上から、こう聞こえたのです」
「おお、伊都伎いつき の神よの」
「── 聞けよ、清盛。なんじ、まことに世を憂い、上皇に忠ならんとする者ならば、仙洞に伏奏し奉れ。天に二つの太陽あることなし。さるを朝廷あり、院政ありして、政令二道より出る。いかに、世のは乱れを起こし、民には塗炭とたん の苦しみを与えて来たか、前朝ぜんちょう の例にも見るも」
「待て、清盛」
「はい」
「夢か。・・・・それは」
「夢です。・・・・わたくしの身は、女車に乗って、波間の上を、走っています。そして、二匹の雄狐おぎつね雌狐めぎつね が、車の先を、 んで行くではございませぬか」
「あはははは。アハハハ」
上皇は、突然、胸を らせて、お笑いになった。
清盛は、もっと大声で笑いたかった。── が、彼は、懸命に、なお真面目くさった。
「そいう夢でした。いや、わたくしは、時子のように、夢話が上手じょうず ではございませんが・・・・」
「わかったぞよ、清盛、もういいもういい」
「お解けになれば、ありがたい仕合わせです。何をか、これ以上、申し上げましょう。御父子のおん仲なるに」
ふと、上皇は、お顔を横にそむ けられた。清盛は、なお根気よく平伏をつづけている。
「・・・・いや、慎む、清盛、心配すな。二条も我が子、なに憎かろうはずがあろう」
清盛は、しょく を見て、退出した。まずこれで一時、小康を見たものと思っていた。
ところが、十月に入ると、また、上皇の近臣、右馬頭うまのかみ 信隆、左近衛さこんえの 中将成親の二名が、突如、朝廷から、官職を褫奪ちだつ された。
理由は一切、発表されない。
ただ臆測おくそく や風説はいろいろ飛ぶ。
上皇の御立腹もさだめしだろうに、なぜか院は、緘黙かんもく を守っておられる。そこに、上皇自身としても、何かひけ目があるにちがいないと、みなささやいた。そしてまた、院のある画策が、朝廷方の粛清によって、いまや一挙に、水泡すいほう に帰したのだ、という者もあった。
越えて、翌年の三月。
天皇は、かつて、上皇の命によって、阿波あわ へ流されていた平治の乱のさいの流人、夕顔ゆうがお三位さんみ 経宗つねむね を、特赦して、阿波の配所から呼び戻された。
そして、元の重職に復し、近習の列に加えて、いよいよ積極的に、御父後白河の院政に対して、抗し給うの態勢を、誇示あそばした。
ここで、思いがけない返り咲きに会った経宗は、
「待てば、こういう開運の日も来るか」
と、阿波から帰参の後は、側近にあって、ことさら忠誠ぶりを、みせていた。
もとよりさい けた男である。時感にびん で、院の情実も知り抜いている。若き陛下のお心にかなうことにも抜け目はない。
大炊おおい 御門みかど に住み、やがて右大臣になったのも二、三年のうちだった。例の口の悪い藤原伊通ふじわらこれみち はこの時にも、こう冗談を飛ばして、人びとを笑わせたという。
「むかしきび (吉備) 大臣があったから、今、あわ 大臣があっても、なんらふしぎはない。今に必ず、ひえ 大臣も出て来るであろうよ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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