〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/24 (金) うみうじ がみ (三)

毎日肺も染まるほど、青海原あおうなばら の大気を呼吸し、千々の島々に送迎され、行く雲、視界の外へまで、想いを放つ時、船上の彼は、どうかすうと、ひとりで笑いが止まらなくなったりした。
「ああ都は狭い。都みやこと、生き騒ぎ合っているが、なんと、小さい盆地の底だろう」 と。
今はもう き人の数に入ってしまったが、死んだ筑後ちくご 、じじの家貞は、いいことを言っておいてくれた。 「── 天地の生んだ一個のもの。あなたはそれでいいではないか。白河の御子みこ であろうが、なかろうが、一個の人間としてお立派であったらいい」 ── と。
いつ、どこで思い出しても、これはその通りだ。じじは、いいやつだった。
「海の見える地に、生涯の館を建て、八重のしお に、理想の業を、顕現してみせん」
という彼の日ごろの夢は ── この時の船中で、いよいよ形を持ち、誓いが固められていたに違いない。
やがて、厳島の影を、波上に近く望んだ日。
「ああ、厳島」
と、清盛は恍惚こうこつ と、ひとみを らした。なぜともなくほお に涙がつたわった。── 前世からの恋人がここに自分の来るのを待っていたとも、言いたげな面持ちであった。
平家の氏神。海の氏神。島そのものが、神の姿といっていい。
「今日は、結縁けちえん の日だ。おれの考えを、この世に具現させる宿縁は、すでに、祖父の代からあったのだ。今日はようやくその結縁が熟して、自然に、これへわが身が運ばれてきたのだろう」
彼は、故知らぬ涙を、そう理由づけた。
厳島の砂を踏まないうちに、彼は、厳島を恋した。
「── さき の安芸守どのが、うじ のみやしろまい られたそうな」
早くも、これは、近国に伝えられていた。
島には、神主の佐伯さえぎの 景弘かげひろ を始め、たくさんの神人じにん僧侶そうりょ が立ち迎えている。厳島いつくしま内侍ないし と呼ばれている巫女たちも見える。
が、島へ上ってみると、社殿も仏閣も、潮風に荒れ朽ちていて、美しいのは、白砂の浜と、岩山の松の姿だけである。
清盛は、浜の宿所にはいり、次の日から、すぐ幾日かを、参籠さんろう した。
以後、彼が島に滞在中は、陸地の方から、たえまなしに、訪問の人びとが、舟を がせて、ここへ上った。
遠くは、大宰府だざいふ 地方から、周防、安芸、備前、備後 にわたる国々のさむらい たちが、ふう を望んで会いに来た。 「yわさに聞く、都の清盛とは、どんな男ぞ?」 という興味もたあtろうが、保元、平治の大乱を通じて、いまや 「六波羅殿」 は、時の人として、津々浦々まで、知れ渡っていたのである。
「あなたの御祖父、正盛どのを、御存知申し上げておる」
という郷土の老武者もあらわれるし、
「お父君、刑部忠盛どのには、いたくお目をかけて給わった者でおざる」
と名乗る人々は、多数あまた であった。
また、清盛自身の方から、
「おお、息災そくさい でいたか」
と、久しぶりに見た顔では、彼が、太宰大弐という官職や、安芸、播磨などを受領していてころの部下が、少なからずあった。瀬戸内せとうち の大島小島に住んでいる魚族そのもののような海の武士もいた。
「まるで、おれは、故郷へ帰って来たような心地がする。帰りとうもなくなったぞい」
酒宴の中で、清盛はそう言った。満座の郷党たちは感激した。平家の氏子うじこ をもって任じている彼らである。清盛が、第二の故郷と言ってくれては、うれしいはずであった。
彼は、ここにも、半月を過ごした。わけても神主の佐伯さえぎの 景弘かげひろ とは、ひざを交えて、思いを語った。清盛が、胸中の構想を、割って話すと、剛腹ごうふく な景弘も、眼をまろくして、
「ほ、ほう・・・・?」
と、驚異の表情をしただけである。
いかに、都の武門は今、平家一色になったとはいえ、まだ、権中納言参議の身分にすぎない四十そこそこの男の話として、余りに、大言に聞こえたのである。何か、 “夢みる人” みたいに見えたのだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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