〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/23 (木) うみうじ がみ (一)

一群の川船はいま、よど を離れようとしていた。おびただしい見送りである。六波羅の名だたる人の旅立ちとは、すぐわかる。
夏の政務のひま をみて、ようやく厳島詣いつくしままい りを果たそうとする清盛と、随行の面々とであった。
屋形船、郎党船、物具船もののぐぶね 、馬船 ── そして包丁人ほうちょうにん や食糧を乗せた台所船まで ── 波映はえい らぎあって、騒然と、川面を埋めている。
「時忠は、まだ見えんなあ。どうしたものか」
「いや、もうお見えになりましょう。もう程なく」
弟の教盛は、清盛のそばにいて、性急な兄を、なだめていた。
随行は、この淡路守教盛に、郎党頭の難波次郎経遠、伊予判官いよのほうがん 盛国。
それと、瀬戸内の事情や、舟航に明るい海族出の日向太郎通良みちよし らの数名。
また当然、朱鼻あけはな伴卜ばんぼく も供の中にいた。経済顧問格である。なお、清盛が特に一行に加えてきた木工寮もくのりょう の技術者たちには、飛騨多門ひだのたもん野見隼人のみにはやと久能大造くののだいぞう橘唐雄たちばなのからお などという測量、土木、建築などの当代の頭脳もいた。
総勢、三十人はこえている。大旅行にちがいない。そのころとして、都から厳島への旅は、送るも、行くも、遠い海洋へ、別離の思いでもあった。
「伴卜」 と、清盛は、うしろの朱鼻を見て、また言い出した。
「ついに、右少弁うしょうべん (時忠) は、来んわい。もう立とうか」
「ま、もう少々、お待ちあそばせ。遅くも、必ず見えられましょう」
「遅くともとは、何か、右少弁に、さしつかえでも、起こったのかな」
「御自身ではなく、おそらく、御家来方のためかと思われます。ゆうべの白拍子町の火災で」
「白拍子町で、どうしたのか」
「うわさですが。・・・・右少弁殿の御家中と、頭中将とうのちゅうじょう 国実卿の家人とが、昨夜、喧嘩けんか したとか、喧嘩のため火事を起こしたとか、取沙汰とりざた されておるようです」
「また、末の者の喧嘩か」
「近ごろ、家人けにん 同士の争いが絶えませ。ややもすると、内裏方とか、上皇方とか、ののしり合って」
「上の御不和を、そのまま、下の者が、やり合うのか。困ったものよな」
「なにしろまだ、保元、平治の殺伐さつばつ なほとぼりが、末の者ほど、 めきっておりません。わけて ── ともうしてははばかりもありますが ── 事実、近ごろは武者たちの鼻息が、とても荒くなりましてな」
の目を見た地下草ちげぐさ が、このところ、気をよくして、から 威張りなどしてみたいのだろう。まあ大目に見ておけ。・・・・しかし、昨夜の事の起こりは、なんなのか」
「さる妓館ぎかん で、時忠殿の家人けにん が、もとより酒のうえでしょうが、二代のおきさき の例なき事を、誹謗ひぼう したとか、せぬとか。・・・・それをまた、とうの 中将の家人が、小耳にはさみ、口論の果て、乱闘になったものとやら聞きました」
「そのための、出火か」
「どうも、さようらいいので」
「威張るはよいが、火災を出したり、後宮の内政を、私闘のたねにするなどとは良くない。とうの 中将といえば、まだきさき が御入内なきうちに、よく、主上の恋のお使いに立たれた公卿だからの、ひがむのは無理もない」
「かたがた、内裏と院の御反目を、何か、自分たちのにら み合いみたいにしている風もございまする」
「いや、末輩どものそれがこわ いのだ。右少弁へは、そうした留守中のことなど、よく申し付けて立ちたいと思うのに・・・・」
「おお、見えられました、ちょうど」
「来たか」
と、清盛は顔色を直して、船屋形から、岸を仰いだ。
右少弁時忠の姿が、たくさんな牛車のあいだに、馬を乗り捨てたのが見えた。遅刻をあわてているとみえ、人びとの中を割って、すぐ清盛の船へ渡って来た。
船屋形のれんたれ れこめ、二人はややしばらく、対談していた。実の弟以上にも、この時忠を、清盛は用いている。片腕とたの んでいる。
「・・・・よいか。たのむぞ」
と聞こえた清盛の言葉の終わりをしおに、時忠は、ほどなく、陸へ戻って来た。そして他の一門の男女と共に、清盛のこの日の旅出を見送った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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