一群の川船はいま、淀
の津つ を離れようとしていた。おびただしい見送りである。六波羅の名だたる人の旅立ちとは、すぐわかる。 夏の政務の閑ひま
をみて、ようやく厳島詣いつくしままい
りを果たそうとする清盛と、随行の面々とであった。 屋形船、郎党船、物具船もののぐぶね
、馬船 ── そして包丁人ほうちょうにん
や食糧を乗せた台所船まで ── 波映はえい
を揺ゆ らぎあって、騒然と、川面を埋めている。 「時忠は、まだ見えんなあ。どうしたものか」 「いや、もうお見えになりましょう。もう程なく」 弟の教盛は、清盛のそばにいて、性急な兄を、なだめていた。 随行は、この淡路守教盛に、郎党頭の難波次郎経遠、伊予判官いよのほうがん
盛国。 それと、瀬戸内の事情や、舟航に明るい海族出の日向太郎通良みちよし
らの数名。 また当然、朱鼻あけはな
の伴卜ばんぼく も供の中にいた。経済顧問格である。なお、清盛が特に一行に加えてきた木工寮もくのりょう
の技術者たちには、飛騨多門ひだのたもん
、野見隼人のみにはやと 、久能大造くののだいぞう
、橘唐雄たちばなのからお などという測量、土木、建築などの当代の頭脳もいた。 総勢、三十人はこえている。大旅行にちがいない。そのころとして、都から厳島への旅は、送るも、行くも、遠い海洋へ、別離の思いでもあった。 「伴卜」
と、清盛は、うしろの朱鼻を見て、また言い出した。 「ついに、右少弁うしょうべん
(時忠) は、来んわい。もう立とうか」 「ま、もう少々、お待ちあそばせ。遅くも、必ず見えられましょう」 「遅くともとは、何か、右少弁に、さしつかえでも、起こったのかな」 「御自身ではなく、おそらく、御家来方のためかと思われます。ゆうべの白拍子町の火災で」 「白拍子町で、どうしたのか」 「うわさですが。・・・・右少弁殿の御家中と、頭中将とうのちゅうじょう
国実卿の家人とが、昨夜、喧嘩けんか
したとか、喧嘩のため火事を起こしたとか、取沙汰とりざた
されておるようです」 「また、末の者の喧嘩か」 「近ごろ、家人けにん
同士の争いが絶えませ。ややもすると、内裏方とか、上皇方とか、ののしり合って」 「上の御不和を、そのまま、下の者が、やり合うのか。困ったものよな」 「なにしろまだ、保元、平治の殺伐さつばつ
なほとぼりが、末の者ほど、醒さ
めきっておりません。わけて ── ともうしてははばかりもありますが ── 事実、近ごろは武者たちの鼻息が、とても荒くなりましてな」 「陽ひ
の目を見た地下草ちげぐさ が、このところ、気をよくして、空から
威張りなどしてみたいのだろう。まあ大目に見ておけ。・・・・しかし、昨夜の事の起こりは、なんなのか」 「さる妓館ぎかん
で、時忠殿の家人けにん が、もとより酒のうえでしょうが、二代のお后きさき
の例なき事を、誹謗ひぼう したとか、せぬとか。・・・・それをまた、頭とうの
中将の家人が、小耳にはさみ、口論の果て、乱闘になったものとやら聞きました」 「そのための、出火か」 「どうも、さようらいいので」 「威張るはよいが、火災を出したり、後宮の内政を、私闘のたねにするなどとは良くない。頭とうの
中将といえば、まだ后きさき が御入内なきうちに、よく、主上の恋のお使いに立たれた公卿だからの、ひがむのは無理もない」 「かたがた、内裏と院の御反目を、何か、自分たちの睨にら
み合いみたいにしている風もございまする」 「いや、末輩どものそれが恐こわ
いのだ。右少弁へは、そうした留守中のことなど、よく申し付けて立ちたいと思うのに・・・・」 「おお、見えられました、ちょうど」 「来たか」 と、清盛は顔色を直して、船屋形から、岸を仰いだ。 右少弁時忠の姿が、たくさんな牛車のあいだに、馬を乗り捨てたのが見えた。遅刻をあわてているとみえ、人びとの中を割って、すぐ清盛の船へ渡って来た。 船屋形の簾れん
を垂たれ れこめ、二人はややしばらく、対談していた。実の弟以上にも、この時忠を、清盛は用いている。片腕と恃たの
んでいる。 「・・・・よいか。たのむぞ」 と聞こえた清盛の言葉の終わりをしおに、時忠は、ほどなく、陸へ戻って来た。そして他の一門の男女と共に、清盛のこの日の旅出を見送った。 |