留守の間に、口喧嘩
でもしたのだろうか。彼には、わけが分からない。 おそらく少女と少女との、ささいな感傷のもつれ合いに過ぎないのだろう。麻鳥が、笑いながら、蓬子の前へ戻った。 そのとき、気が付いたことなのである。半年余り見なかった間に、蓬子はもう女童めわらべ
ではない。化粧の仕方といい、髪かたちといい、すでに雨情をふくむ妙齢の女性となっている。 十七といえば、急に、女の眼ざめが、こうも変わって来るのだろうか。 おやいや、常盤の再嫁に従って、蓬子の環境や役目も違って来たに相違ないから、自然の成長というものだろう。──
それを認めなかったのは悪かった。麻鳥は、そんなふうに考えて、 「蓬さん。いまの娘が、何かあなたの気にさわることでもしたのですか」 と、言葉も少し改めて、訊き
いてみた。 「いいえ、ちっとも・・・・」 蓬子は、そう言ったが、また、 「・・・・でわたくし、いまのお人を、初めは、唖おし
かと思いましたわ。なぜといえば、わたくしがお訪ねして来たのに、ろくに答えもしてくれないんですもの」 「この牛飼町のほか、世間の人に触れるおりもないあわれな貧者の娘です。きっと、恥かしがったのでしょう」 「いいえ。ちがいます」 「じゃあ、何です」 「まるで、わたくしに、帰れよがしの眼差まなざ
しでした。麻鳥さまは、今のひとを、やがて、妻になさるお気持ではないのですか」 「え・・・・?」 麻鳥は、びっくりした 。けれど、蓬子の眸ひとみ
は、もっと、一心なものをこめて、彼のその眼を、見つめてくる。 彼は耐え切れない眼を反そ
らした。そして、首の根から赤くなってしまった。二人の睨み合いが、自分を中にしての嫉妬しっと
だと気が付いたからだ。けれど、また分からないものが胸につかえた。明日香のような年端としは
のゆかに少女にも、そんな嫉妬があるものだろうか。また、この蓬子は、以前から、そんな対象として、自分に馴な
れ親しんでいたのだろうか。去年の秋ごろの、あんな無邪気な女童めわらべ
に見えていた時から。 「・・・・今日は、お使いの途中ですか」 彼は、わざと、話をそらした。 「いいえ。麻鳥さまに、すこし相談したいと思って」 「はあ。そう・・・・」 麻鳥は、もじもじした。何か、息がはずんで、苦しくなる。 「ねえ、麻鳥さま。わたくし・・・・今日ばかりでなく、もうずっと、お暇を取って、町に住みたいと思うんですけれど、どうでしょう」 「常磐様のお側を離れるんですか」 「お淋さび
しいお姿を残して、一条のお館を出るのも、何か辛いここちはしますけれど」 「義朝殿のお子たちがおひざにいたころから、お仕えして来た蓬さんではないか。──
今、あなたに去られたら、どんなに、おの御方おんかた
は心細かろう」 「それも、ずいぶん考えたのですが」 「どうして、町へ住みたいなどと、急に思い出したですか」 「いつも、麻鳥さまが仰っしゃっていたではありませんか。──
栄花えいが や権勢けんせい
は、うわべだけの物でしかない。九重ここのえ
の内に住む人びとと、貧しいちまたに生きている人びとを比べれば、かえって、ほんとの人情や、人間の美しさは、公卿の社会より、貧者の町の底にあると。・・・・それは、つくづく本当だと思いました」 「けれど、蓬さん。何も好んで、貧しい町人町へ、身を落として来ることもありますまい。──
貧しい人びとはまた、どうかして、少しでも、上の生活へ近づきたいとしているんですから」 「けれど、もう上流の人たちの生活が、ほとほといやになったんですもの。麻鳥さまが、伶人れいじん
の家柄も捨てて、牛飼町に住んでいるのは、この気持かと、思い当たったら、矢もたてもなく、ここが恋しくなりましたの」 「いやいや、優雅みやび
な館に、いちどお仕えした女子などが、長く絶え得る所ではありません。多年お仕えして来た常磐様のお心にも、よく伺ってごらんなさい」 「常磐様に伺えば、お止めになるにきまっています。ほんとのことを言えば、わたくしの心は、常盤様にはもう離れてしまいました。自分のお主あるじ
ですけれど、清盛様とは、ああいうわけでしたのに、また、他家の後妻に嫁とつ
がれるなんて、いくらお美しいにせよ、浅ましゅうて・・・・」 たしかに、蓬子の成長である。 女性の持つ女性の批判を抱き始めている。それが正しいか否かは別として、常盤という主に対して、懐疑的になってきたのは事実であろう。そして自分の女としての生き方にも、考えを深めて来たものにちがいない。 けれど、その女の生きる将来を、麻鳥へ結びつけたいとしているらしい蓬子の口吻くちうら
を知ると、彼は当惑のほかなかった。 なんと、なだめて帰そうか、思い止まらせようか、そればかりが屈託になる、心が重くなる。 しかし、彼女は、麻鳥とただ向かい合っているだけで楽しいらしい。時のたつのも忘れ顔に話しこむ。そして日が暮れかかると食事を手伝い、麻鳥とともに、貧しい食物を、さも楽しそうに食べた。 「もう帰らなければいけないでしょう」 「ええ。今日は帰ります。けれど、お暇が出たら、ここへ来てもいいでしょう。ねえ、麻鳥さま。来てはいけません?」 「そうそう、今度、文覚さんが都へ見えたら、文覚さんにでもよく相談してごらんなさい。それまでは、軽はずみをなさらないで」 そんな一時のがれをいいながら、彼は彼女を、六角の辻つじ
の辺りまで送ってやり、そして、急いで帰って来た。 |