〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/22 (水) ゆめ   うら (二)

「五位ノ太夫、加茂かも防河使ぼうかし ぐらいで、いい気になってはならぬぞ。そちに任ずるのは、この内海五泊のうち、どこか一港を、南宋の大船が、悠々ゆうゆう と船がかり出来るようにすることだ」
「やえいます。生涯を して」
「やるとしたら・・・・さて、どこぞ、第一のとまり は」
「神崎の川尻かわじり は」
「だめだ。川砂が押して」
むろ は」
「せま過ぎる」
「では」
「大輪田ノとまり (後の兵庫、すなわち神戸) よ。あの地のほかにない。── おれは、若年の頃から、いくたびも、zそこは通っている。父忠盛の領も、みな西国、清盛の任国もまた芸備げいび の地方。おれの旅路は、いつの大輪田ノ泊の船旅だった。・・・・そして、あそこの風浪や、船着きの悪さに悩まされるたび、おれはいつも若い頭に想いを描いた。── 他日、時を得たら、ここの荒磯ありそ や和田ヶ崎などを、こうして、ああして・・・・などとな」
「えっ」 と、朱鼻は仰山に、眼を見張って ── 「そんなお若い時からですか」
「おお、二十歳はたち がらみの頃からだった。・・・・なぜといえば、伴卜、思うてもみろ」
いつになく、清盛は、しんみりと、朱鼻にむかって、感慨のある言葉を聞かせた。
「今なればこそ、一商人のそちを、加茂太夫の官職に就けてもやれるが、つい、数年前としたら思いもよらぬことだ。── まして、清盛が若年の頃は、どうであったぞ。地下人ちげびと だ、公卿の番犬だ、そして貧乏平氏の小伜こせがれ だったぞよ。・・・・どうして、今日が来ると思えよう。というて、おれは若かった。どう しひしがれても、 え出ようとする生命がある」
「そのころの世情は、てまえも、よく覚えておりまする」
「うム、伴卜には、分かろう。そちも御所の下郎げろう であった。・・・・当時にあっては、伸びようにも伸ばされぬ若さと希望を、みし無下むげ に抱くなら、乱を考えるか、盗賊にでもなるか、ほかに夢見るすべはなかったろう。・・・・だから、父の使いで、大輪田ノ泊を通うときは、ここの泊を、いつの日か、自分の思うような良い船泊りとして、磯に沿う後ろの山すそを切り開いて、宋船との交易市としたならばなどと、海を見ては、考えていたものだった」
「そう伺って、恥じ入りました。平治の御合戦が平らぐやいな、にわかな御着想とのみ、存じましたが」
「否々。おれにすれば、二十年越しだ。若い夢は持つものよ。はからずも、それが夢ではなく、わが手で行える日がめぐ って来た。うれしいのだ。それが清盛にはたま らなくうれしい。・・・・で、わぬしらにも、急な思いつきよと、性急に見えるのだろう」
こんな述懐じゅっかい を清盛が人に聞かせたのは珍しい。耳朶じだ を紅くして語り飽かないのである。朱鼻はふと、夜々、常盤の許へ通っていた時の清盛を思い出した。── この人にはこういう面があるので、常盤との恋も、別れも、あのように出来たのだろうなどと、ひそかに思った。
「・・・・が、大輪田ノ泊も、じつは見ぬこと久しいぞ。いちどはぜひ、あの付近を、歩こうよ。言うはやすいが、実現は容易でない。── いつか、その日には、供をせい。伴卜も、通良みちよし たちも」
絵図をたたませて、美女たちが運んで来た高坏たかつき折敷おしき に向かった。
町の白拍子しらびょうし たちが、別のひさし に来て、酒宴となるのを待っていた。
一族の子弟も寄る。家臣のたれかれも来る。
清盛は、杯をかさねながら、白拍子の舞を、夢見るような眼でながめ、打ちはやす鼓の音を、浪音のように聞いていた。
ちょうど、そもころ、仙洞御所から退 がった糸毛車は、女房門の内へ、すべるように、帰って来た。
時子は、車の中で眠ってしまった徳子を抱いて、五衣いつつぎぬかさね も重げにれん の内からようやく降りた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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