薔薇園
にはその夕べ、清盛に呼ばれた朱鼻あけはな
の伴卜ばんぼく が来ていた。 清盛のそばには、日向太郎通良みちよし
と、通良とともに降参して、去年から平氏の家中となった日向海族の三、四人が侍じ
していた。 海族は、従来、海賊と書かれている。 海を家とし、中央の法令に従わないので、一様に、賊と目されているが、単なる盗賊とはちがう海の武族や海商といえる者も少なくない。 日向太郎一族は、武族にして、海商を兼ね、宋そう
大陸の事情や、また宋船の航路などにも詳くわ
しかった。 「仰せ付けの海図が、ようやく、書き上がりましたので」 通良は、清盛の前に、大きな絵図をひろげた。想像図であろうが、西国の諸港や内海の水路はほぼ分かる。 「これか」
と、清盛は熱心に見入って ── 「伴卜も、寄って見い。よく見い」 と、さしまねいた。 「通良みちよし
。そちたちが、宋船と交易した港は、どの辺か」 「一定の港はございません。風浪、潮流、そのとき次第で」 「瀬戸内せとうち
へは」 「めったに、はいって来ません。よい、泊とまり
がないためです」 「室むろ
ノ泊とまり 、福ふく
泊どまり 、魚住うおずみ
泊とまり 、大輪田おおわだ
ノ泊とまり など、港はあるが」 「漁船、小舟を、辛くもつなげるだけのもので、宋船の寄るべはございませぬ」 「海外では」 「なお、風浪が荒く、せめて、熊野灘くまのなだ
まで、来れば、島々のふところに、自然の船泊りも出来ますが、宋船にとっては、不便はいうまでもありませんし」 「惜しいのう・・・・」 と、清盛は、ようやく、面おもて
をあげて、嘆息した。 「さかんに、遣唐使けんとうし
が往来し出したのは、五百年も以前だが、そのころには、唐朝とうちょう
の文物が自由に輸入されて、聖武帝しょうむてい
、桓武かんむ 、仁明にんみょう
の朝ちょう など、この国の文化には、すばらしい一時代があったものだ・・・・」 「ほ。昔の方がですか」 「そうだ。おかしいと思うだろう。けれど、たしかに、五百年前の方が、この国は、はつらつとしていた。文化は精彩せいさい
に満ち、僧侶そうりょ は、新鮮な知識と慈悲の光を持ち、撫民ぶみん
は、和なご やかに行われた。──
へんなものだ、進んでいるはずの五百年後の今日が、かえって、こんな無気力なのは」 「なぜでございましょう」 「古沼にしておくからだよ、新しい水のそそぎ入る通路が、塞ふさ
がれて来たからだ。何百年となくよ・・・・。かの菅原道真すがわらみちざね
が、遣唐使の廃止を唱えたころからといっていい。── どうだ朱鼻、いや伴卜ばんぼく
」 と、いい直して、笑い出した。 |