〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/22 (水) ゆめ   うら (一)

薔薇園しょうびえん にはその夕べ、清盛に呼ばれた朱鼻あけはな伴卜ばんぼく が来ていた。
清盛のそばには、日向太郎通良みちよし と、通良とともに降参して、去年から平氏の家中となった日向海族の三、四人が していた。
海族は、従来、海賊と書かれている。
海を家とし、中央の法令に従わないので、一様に、賊と目されているが、単なる盗賊とはちがう海の武族や海商といえる者も少なくない。
日向太郎一族は、武族にして、海商を兼ね、そう 大陸の事情や、また宋船の航路などにもくわ しかった。
「仰せ付けの海図が、ようやく、書き上がりましたので」
通良は、清盛の前に、大きな絵図をひろげた。想像図であろうが、西国の諸港や内海の水路はほぼ分かる。
「これか」 と、清盛は熱心に見入って ── 「伴卜も、寄って見い。よく見い」
と、さしまねいた。
通良みちよし 。そちたちが、宋船と交易した港は、どの辺か」
「一定の港はございません。風浪、潮流、そのとき次第で」
瀬戸内せとうち へは」
「めったに、はいって来ません。よい、とまり がないためです」
むろとまりふく どまり魚住うおずみ とまり大輪田おおわだとまり など、港はあるが」
「漁船、小舟を、辛くもつなげるだけのもので、宋船の寄るべはございませぬ」
「海外では」
「なお、風浪が荒く、せめて、熊野灘くまのなだ まで、来れば、島々のふところに、自然の船泊りも出来ますが、宋船にとっては、不便はいうまでもありませんし」
「惜しいのう・・・・」 と、清盛は、ようやく、おもて をあげて、嘆息した。 「さかんに、遣唐使けんとうし が往来し出したのは、五百年も以前だが、そのころには、唐朝とうちょう の文物が自由に輸入されて、聖武帝しょうむてい桓武かんむ仁明にんみょうちょう など、この国の文化には、すばらしい一時代があったものだ・・・・」
「ほ。昔の方がですか」
「そうだ。おかしいと思うだろう。けれど、たしかに、五百年前の方が、この国は、はつらつとしていた。文化は精彩せいさい に満ち、僧侶そうりょ は、新鮮な知識と慈悲の光を持ち、撫民ぶみん は、なご やかに行われた。── へんなものだ、進んでいるはずの五百年後の今日が、かえって、こんな無気力なのは」
「なぜでございましょう」
「古沼にしておくからだよ、新しい水のそそぎ入る通路が、ふさ がれて来たからだ。何百年となくよ・・・・。かの菅原道真すがわらみちざね が、遣唐使の廃止を唱えたころからといっていい。── どうだ朱鼻、いや伴卜ばんぼく
と、いい直して、笑い出した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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