〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
常 盤 木 の巻

2013/05/21 (火) 良 人おつと ざん (四)

やがて別殿で、上皇の賜餐しさん があり、賜餐の席には、時忠も加わった。また、時忠の弟で、近ごろ、院の近習に召された親宗ちかむね陪席ばいせき した。
上皇は、幼い徳子を、そばへお寄せになって、その童髪わらべがみ をなでながら、
「女の子は、男親に似、男の子は女親に似るのが多いというが、この姫も、どちらかといえば、清盛似よの」
と、仰っしゃった。
そしてしきりに、
よ。うま乙女おとめ よ」
と、ひめて、ひざへお乗せにならないばかりに、可愛がられた。
母の身の時子にすると、それは無上の光栄にも思われたし、情として、妹に会ったより、皇子を見たよりも、内心では、今日中のうれしさであった。
「時子。わごせと、清盛との仲には、いったい、なん人お子があるのか」
「ホ、ホ、ホ。余りに、多すぎて、お答えのしようもないほどでございます」
「男の子が多いのか。女か」
「女が多うございます」
「徳子は、なん番目の姫か」
「たしか、三女でございました」
「たしかと、覚えもまぎれるほどかよ。ははは。・・・・では、徳子ひとりぐらいは、滋子の側で養うもよいの。のう、姫。朕のそばに、このままいませ。・・・・どうじゃ、いやか」
「・・・・・」
徳子は、泣き出しそうになり、上皇の御手を、もがき抜けて、母のそばへ逃げて来た。
「この通り、まだ、ほんとに嬰児やや でございますから」
「むりもない。これからはおりおり、滋子のもとへ、遊びによこせ。そしてよう、 れたころに、とどめ置くがよい」
上皇は、じつにお優しい ── と、時子は心からありがたく思った。
その上皇がまた、彼女の家事の気苦労について、思いやり深く、いろいろたず ねられたり、また良人の清盛の短所長所をおあげになって、将来のこと、何くれとなく、励まされたりしたので、時子はなおさら、上皇の御親切に、心酔しんすい してしまった。こんなよい御主君はないと思った。
どこの妻もそうであるように、時子もつい、良人おっと 讒訴ざんそ を口すべらした。日ごろ、良人に抱いている不満を、上皇のお口にひかれて訴えた。上皇はなんでもご承知のようなおうなずきをして見せる。しかも決して、清盛をそし らず、また彼女にも満足するような返辞を見つけては、巧みに、その間を、おつなぎになる。
「いや、すぐれた男を、良人に持てば、これまた、一生、女の不運となるしの」
「いえ、いえ、いっそ、ぼん な良人でも、貧しくても、おりおりには、妻子の中にもいてくれて、夫婦ぞという思いもするような暮しの方が、どんなに、望ましいかわかりませぬ」
「じっとしていられぬさが なのじゃ、あの男は。あり余る智と体力と、つねに何かを夢見る癖があって」
「仰せの通りなお人です」
「ちと、信仰をすすめたがよい。清盛のきずは、人の信仰を薄ら笑いで見るようなあの癖・・・・あのおそ れを知らぬ顔つきにある」
上皇はよくわが良人を見ていらっしゃる。彼女は、良人の短所を言われるほど、上皇への心服をたか めた。やがて、おいとま を告げて退がりかけると、上皇は、彼女の嗜好しこう までよく御存じのように、珍しい種々くさぐさ な織物を彼女へ賜い、 「また、おりおりに遊びに見えよ」」 と、かさねて仰せられた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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