時子の妹滋子
は、去年、上皇のお胤たね をやどし、つつがなく、一皇子を生んでいた。 後白河の第三皇子、憲仁のりひと
である。 「姉君にお見せしたい」 と、滋子は便りの筆にいい、時子も、 「ぜひ。見まいらせたや」 と、何度も、手紙のうちに書いた。 滋子は、いちばん末の妹で、姉の時子に育てられ、姉を母とも思っている。年も時子より二十も下であった。けれど、仙洞の女御にょご
となってからは、姉は臣下の妻であり、会うのも、ままにならなかった。 上皇は、姉妹の情を察しられて、 「いちど、憲仁のりひと
の顔を見に罷まか れ」 と、時子をお招きになったのである。時忠は、彼女の介添かいぞ
えに付いて来たわけだった。 半日近くを、時子は、仙洞の内殿ないでん
深くに、妹と、そして、妹の生みまいらせた皇子の乳の香と、一つになって、語り暮らした。 父上皇のお声も、おりおり、他愛のない笑いに交じって、梅の坪 (中庭)
ごしに、もれてくる。 時忠は、そこまで行けない。坪のこなたの細殿で、 「はて、退屈な・・・・」 と術すべ
なげに、控えていた。 だが、また、皇子のおむずがりなど聞こえて来ると、彼は、不思議な感に打たれ出した。── 滋子は、わが妹、当然おれは、あの皇子の伯父である。 「分からんものだ。・・・・おれが、皇室の連枝になるとは。・・・・生涯、貧乏公卿で果てた水薬師みずやくし
の父時信が生きていたら・・・・なんといって驚きあきれるだろう」 ぴつねんと、回想にふけった。 まだ、時子も清盛へ嫁とつ
がない、あのころを。 買食いしたさに、軍鶏しゃも
を抱えて、町へ行き、闘鶏とり
博奕ばくち をやっては、銭ぜに
を得ていた小冠者の腕白時代を。 また、長ちょう
じてから後も、祗園ぎおん まつりに、酔っ払って、叡山えいざん
の法師や神官をなぐりつけ、ついに、洛中の大騒動やら清盛の大難をひき起こしたりした ── 青年客気のひところを。 「いや、これからは、ただの臣下ではない。皇室につながる身だ。姉君を意見するどころか、自分も戒心しなければならぬ」 彼の自覚は、将来の、より以上な立身への夢へ、つながっている。かつての藤原氏が意のままにしたような栄花と権勢への門が、自分の前にも開かれたという野心と、別なものではない。 坪を隔てた内殿にも、姉、妹の笑い声が、睦むつ
まじい。 よろこびは、相似ている。 しかし、時忠の喜びと、姉妹の喜びとは、まったく違ったものだった。 |